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ABOUT

日本選手権競輪とは

日本選手権競輪は最も格式の高いG1と呼ばれ、主に賞金獲得額によって選抜される。
昨年度はチャリレンジャーの松浦悠士選手が優勝。
76回目となる今回もトップレーサーたちが「ダービー王」の称号を巡り、
6日間のゴールデンウィーク決戦を展開していく。
また、3日目にはガールズケイリンコレクション2022いわき平ステージも同時開催される。

昨年度の振り返り

日本選手権競輪レースプログラム

※勝ち上がりのみ掲載

1着賞金
7,837万円

出走表

日本選手権競輪 出場チャリレンジャー

チャリレンジャーとは
チャリロトの公式スポンサード選手愛称です。

ガールズコレクション2022いわき平ステージ
出場チャリレンジャー

EXPECTATION

レース予想

加藤慎平の
日本選手権展望

加藤慎平

2005年12月に全日本選抜、KEIRINグランプリを制覇し競輪界の頂点に立った。この時の月額獲得賞金1億3千万円は競輪界レコード記録。2018年12月に現役引退後は様々な分野でマルチに活躍している。 YouTubeチャンネル「ペーちゃんねる」にて配信中。

開催展望

さあ、ダービーだ。
正式名称は日本選手権競輪(G1)だが、この大会の勝者は「ダービー王」と呼ばれる。
G1の中でも特別と言われるこのレースの優勝者に与えられるのは、賞金7,837万円とダービー王の称号。
破格の賞金もさることながら、勝者がその後も半永久的に〝王〟と呼ばれ続けるのは、このダービーだけだろう。
それほどまでに、この6日間は特別だ。
筆者も一番獲りたいG1レースであったが、決勝戦は準優勝、3着、4着、5着、6着と見事なまでの惜敗。
しかも、準優勝の時は微差負けときた。
3000万円の2着賞金を車の助手席にぶん投げて、一言も発せず自宅まで帰ったことを今でも覚えている。
さあ、軽く展望といこう。
ここ数年、ほとんどS級S班のメンツが変わっておらず、やはりこの9名が中心になると思いきや、今年は少し、いびつなパワーバランスになっている。
それは、脇本雄太の存在だ。
東京五輪を終えて、国内の競輪に本格復帰。
長期欠場などを挟み、決して順調では無い中、ここに向けて完全に仕上げてきた。
言うなれば一横綱、九大関。
それほどまでに、脇本の力は抜けている。
番手はすでに今年GPの権利を持っている古性優作の指定席となりそうだが、その古性にとってもこのダービーは重要な位置付けになる。
それはGP連覇を狙うには、脇本をGPに乗せることは最重要ミッションだからだ。
古性のアシストが間違いなく見込める脇本にとって、敵となるのは、一流選手の二段、三段ロケットのみだろう。

チャリロト
メンバー予想

予想に役立つ
データ分析

日本選手権競輪優勝者データ

第1回(1949年)から第75回(2021年)まで集計。

昨年度優勝:松浦悠士
最年少優勝:18歳(1951年大阪中央:高倉登/当時は全国争覇競輪)
最年長優勝:41歳(2016年名古屋:村上義弘)
最多優勝:4回(吉岡稔真、村上義弘)
大会連覇:7名(横田隆雄、高倉登、松本勝明、小橋正義、山田裕仁、村上義弘、三谷竜生)
完全優勝:7名(横田隆雄、高倉登、松本勝明、吉田実、吉井秀仁、滝澤正光、脇本雄太)

日本選手権競輪決勝の傾向
※3連単が発売開始した2002年から集計

3連単の最高配当は8万7,810円(2017年京王閣:三谷竜生)、最低配当は3,040円(2018年平塚:三谷竜生)。
3連単が万車券決着になったのは、20開催中12回。

直近20開催、逃げ切りで優勝を果たしたのは2006年の吉岡稔真のみ。

※ライン形成選手のワンツーを集計。

G1決勝にしてはライン決着率が高めだが、ここ2年は別線での決着が続いている。

昨年は松浦悠士が清水裕友の番手から優勝。3番手の優勝は、2016年名古屋の村上義弘。単騎も2016年の中川誠一郎、2013年の村上義弘、2007年の有坂直樹と直近20開催では3名が優勝している。

日本選手権競輪決勝の出目

※直近20開催の決勝を集計
※あくまで出目のデータです。

直近20開催で、好成績をあげているのが1番車と3番車。昨年も3番車の松浦悠士が優勝しており、1番車と3番車の優勝が合わせて13開催を占める。逆に優勝がないのは6番車で、直近20開催で3着までに絡めていない。

いわき平競輪場バンクデータ

二層構造のバンクのため通称「空中バンク」と呼ばれる。バンクの内側からもレース観戦ができるのも大きな特長のひとつ。周長は400mで、みなし直線距離は62.7mと長く、この長い直線に先行選手は苦しめられる。逆にライン3番手や仕掛けの勢いをもらった追い込みにもチャンスは十分ある。
バンクレコードは10秒5で、2010年9月4日に山崎芳仁が記録。

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