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2018/02/28

Junko Shitara

心に残るベストショット Vol.8

心に残るベストショット Vol.8

昨年、生まれた競輪界の一番新しいビッグレース、G2ウイナーズカップが3月18日から(4日間)松山競輪場で開かれます。今は野球の坊ちゃんスタジアムなどと同じ松山中央公園に移転しましたが、私が頻繁に通っていた頃は市の中心部、松山城のお堀の中にありました。ですから、ニュースなどでお城が映し出される度にチラッチラッと、競輪場の一部が映り込んだりしていたものです。記念競輪が金亀杯(きんきはい)となっているのは松山城が別名・金亀城だからです。

まだ昭和の頃、先輩の後を継いでビッグレースのインタビュアーを務めることになった私を早速、記念競輪のTV中継インタビュアーに呼んでくれたのが松山でした。
あくまでも私の記憶ですが、この当時、松山と高知。あとは神奈川県で川崎が記念競輪のTV中継を流していました。テレビというと各地方にはまだ2~3局しかなく、また電話投票が始まろうかという時代で、当時は記念競輪が前後節各3日間開催の2節だったものです。

松山市は瀬戸内海に面した温暖な気候風土に育まれた人情味溢れる
土地柄。私が金亀城のお堀沿いにあった常宿のホテルからポツポツ歩いて競輪場に入ると、入り口付近の予想紙の演台にいるおじさんたちが「おー、これ持ってきな!」と、こぞって予想紙を差し出してくれるアットホームな競輪場でした。

例年、記念競輪の開催は3月上旬、この頃は梅が満開、春の気配をそこかしこに感じる心地よいシーズンでした。しかし、3月と言えども時には雪に見舞われることもありました。まだ決勝戦だけの1時間枠のテレビ中継なので、スタジオを囲む風除けフェンスはかけられず、冷たい風が吹き抜けるバンク内に机と椅子を置いて放送したこともありました。時には喋っていたら口の中に舞い落ちる雪が入ってきたりして……。カメラに映らない腰から下は毛布にくるまって後ろから電気ストーブで暖を取っていました。それでも、「毛布の表面が温かいだけで私は一つも温かくない!」努力してくれたスタッフの気持ちは温かさを感じながらも、ということも度々。こんな厳しい状況だったからこそ、スタッフとの共同作業のイメージが強く残っていて、今では良い思い出となっています。

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