TOP > コラム > 心に残るベストショット Vol.8

コラム

一覧へ戻る

コラム

2018/02/28

Junko Shitara

心に残るベストショット Vol.8

心に残るベストショット Vol.8

平成になって電話投票や場外発売の拡大で全国に向けて中継するようになり、放送枠も広がり初日1レースから3日間、時には前後節ぶっ通しで6日間ということも。それこそ毎日、ホテルと競輪場の往復ということもありました。歩く距離は僅か100mで、座っている時間が6時間。スタジオでモニター見ながら喋り続けることは、バンク際でレースを覚えた私には結構うらやましく思ったことはありますが、雨にさらされながら寒さに耐えて体で覚えた、これが私の競輪です。時にはフワーンと、伊予柑のいい香りが従事員さんの控室から漂い、癒されていたのか?誘われていたのか?(笑)

時代としては決勝戦の中継だけだった頃が中野浩一さん(福岡35期・引退)や滝澤正光さん(千葉43期・引退)、地元は伊藤豊明さん(愛媛41期・引退)らが中心。地元を代表する選手にとって1年に1回、全国規模で人気のある選手が挑戦状を叩きつける、アウェー対ホームの雰囲気がより強かった時代の競輪です。
今よりも中心となる選手がキッチリ決まっていた3日間で、S級とA級のダブルトーナメントでしたから、最終日には2つ決勝があり、コメントする私には波が作りやすかった覚えがあります。
当時から”地元3割増し”と、呼ばれていて、この頃の伊藤さんや菊池仁志さん(愛媛47期・引退)はまさにそうでした。3月地元戦が近づき商店街を歩いていると、地元ファンが「がんばれよ〜!」と、声をかけてくれ、ありがたい一方でプレッシャーも感じる日々だったことでしょう。各スポーツあるいは公営競技でも、これほど地域と選手が密着している土地は少ないと思います。だからこその”地元3割増し”なのです。

私事ですが毎年、同じ時期に中継で松山競輪場に足を運んでいる私のことをホテルのスタッフが覚え下さっていて、「今年もお世話になります」の一言で「今年は加湿器をセットしました」という配慮をしていただいたこともあります。その前年に風邪をこじらせて、苦しんで喋っていたのをキッチリ見られていたのですね。ありがたいやら、恥ずかしいやら(苦笑)。
もう一つ失敗談ですが、寝ぼけてコンタクトレンズを失くしてしまった時に、フロントマンと部屋係が床を這いつくばって探し出してくれたこともあります。もうありがたすぎて言葉になりませんでした。松山では、このホテル以外には泊まらない!そう決めたものです。

今ではスッカリごぶさたとなってしまいましたが、こんな具合に、私の記憶に残るお堀の中の松山競輪場は伊予柑の香りと市内のシティーホテルのスタッフのホスピタリティーでほのぼのとした思い出ばかりなのです。

ウィナーズカップでは道後温泉にゆっくり浸かり、美味しい鯛飯を食し、良い思い出を作りにいきたいものです。松山競輪場は旅打ちには絶好、オススメの競輪場!みなさまも是非、松山へ足を運んでみてはいかがでしょうか。

【略歴】

設楽淳子(したらじゅん子)イベント・映像プロデューサー

東京都出身

フリーランスのアナウンサーとして競輪に関わり始めて35年
世界選手権の取材も含めて、
競輪界のあらゆるシーンを見続けて来た
自称「競輪界のお局様」
好きなタイプは「一気の捲り」
でも、職人技の「追い込み」にもしびれる浮気者である
要は競輪とケイリンをキーワードにアンテナ全開!

12

ページの先頭へ

メニューを開く