TOP > コラム > 他競技からの転向

コラム

一覧へ戻る

コラム

2018/03/01

Norikazu Iwai

他競技からの転向

他競技からの転向

大いに盛り上がった平昌冬季五輪、日本は過去最高の13個のメダルを獲得した。そして、金メダルは4個。男子フィギュアの羽生結弦、女子スピードスケートの小平奈緒、チームパシュート(自転車競技ではパーシュート表記)はある程度の予想はできたが、高木菜那が優勝したスピードスケートのマススタートには驚いた。種目自体の歴史が浅く、今回から採用されたものだが、まるで競輪のポイントレースを彷彿(ほうふつ)とさせるものであった。ショートトラックは目まぐるしくて、個人的にはあまり好きではないのだけれども、マススタートとチームパシュートは見ていて楽しめた。そして、女子カーリングである。序盤は勢いに乗ってベスト4と思っていたが、後半に失速。結果的に自力でなく他力でベスト4に進出することになった。
準決勝の韓国戦は惜敗。銅メダルを懸けたイギリス戦、イギリスは最終エンドのスキップ(イブ・ミュアヘッド)が最後の最後でミスショット。転がり込んできたは失礼かも知れないが、運も実力の内なのだろう。サードの吉田知那美の涙が勝っても負けても印象的だった。何より自らチームを立ち上げながら、今回はリザーブ、裏方に徹した”マリリン”こと本橋麻里が一番嬉しかったに違いない。過去、マスコミにも頻繁に登場して、アイドル的な存在だった本橋が地道にチームを支え続けた。ゲームには出ていないが、個人的には本橋の名前をMVPに挙げたい気持ちだ。

五輪を含む他競技から競輪に転向した選手は数多くいる。中でも有名なのは武田豊樹(茨城88期)だろう。彼は2002年ソルトレークシティー冬季五輪スピードスケート代表。当時、500mのタイムは清水宏保より速かった記憶がある。マスコミからも「メダルの有力候補」と、評されていたものだ。しかし、1本目に武田は痛恨のスタートミスを犯して、最終的には8位。清水は銀メダルに輝いた。武田は直後に競輪学校へ入学し、今や押しも押されもせぬ競輪界のスーパースターとして活躍している。
武田を追うように、スピードスケート出身者が続々と、戦いの場をリンクからバンクに求めてきている。彼らに共通していることは貪欲だということ。率直に言ってしまえば、競輪の高収入も大きな魅力だった。ただ、武田は別として、他の選手はある程度のキャリアで満足してしまっているように感じる。唯一、ハングリー精神を持っているように感じるのは2010年バンクーバーショートトラック代表の吉澤純平(茨城101期)くらいか。1998年長野五輪ショートトラックで金メダルの西谷岳文(京都93期)はS級1班までいったが、現在ではA級1班だ。
ガールズケイリンでは渡辺ゆかり(山梨102期)がソルトレークシティーと2006年のトリノ五輪に出場している。ガールズケイリンでは度重なる大けがで、本来の能力を発揮できていない。渡辺と同期の岡村育子(埼玉102期)は2008年北京五輪アイスホッケーの代表ゴールキーパーを務めた。

五輪以外ではヤクルトスワローズから2000年秋にドラフト3位で指名された松谷秀幸(神奈川96期)が有名だ。大きな期待を受けていたが、プロ野球生活6年間で、右肘の手術を数回受けるなど結局は一軍での登板が叶わなかった。だが、このように苦労しただけあって、現在はS級1班、それもトップレベルで活躍している。
他競技から転向してきた選手に言えることだが、高いポテンシャルを活かせていない。武田や松谷クラスになれば別だが、食べていくための転向ならばこなくていい。五輪経験者、元プロ野球選手としてチヤホヤされるのは一時的なものであろう。過日、JKAが”特別枠”なるものの規定を変更してきた。早速、その規定を拝見させてもらったが、あまりにも内容が抽象的すぎて驚いた。五輪メダリストや武田のような入賞者限定にすべきであろう。ハードルを下げすぎた”特別枠”はもう一度、見直す必要があるように思えるのだが。

Text/Norikazu Iwai

ページの先頭へ

メニューを開く