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2018/04/26

Yuji Yamada

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.22

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.22

私の現役時代のモットーは“記録に残るより記憶に残る選手になる”でした。
バンクレコードや獲得賞金額、優勝回数や勝利数など、競輪選手として記録に残せるものは数多くあります。ただ、記録とは塗り替えられるものでもあります。1度、塗り替えられてしまうと、以前の記録として残してもらえることは滅多にありません。でも、記憶に残るということは、忘れられるということはほぼないはず。だから、いつまでもファンの記憶に残してもらえる選手になりたいと、そのように強く思っていました。
しかしながら昨今の日本では、記憶に残っていたとしても「身に覚えがございません」という言葉で片付けられてしまいます。“備忘録”という言葉が流行語大賞になるのではないかというくらい使われていますが、記録に残しておくことは大切だという事案もあるのが事実。“記録にも記憶にも残る選手になる”のが正解なのかと、最近は感じたりしている次第。

さて、いよいよ日本選手権(通称・ダービー)が平塚で開催されます。このダービーの優勝者は“ダービー王”とまで呼ばれるようにもなり、選手の誰もが手中に収めたいタイトルの一つです。今ではグランプリという年末の大一番がNo.1的な扱いになっていますけれども、以前は“ダービー王”こそが日本一と、みなされていたものです。
そのダービーに向けて、選手たちが順調に仕上げてきているのを4月末までの各地の開催を観ていて存分に感じられます。SS級の自力選手は好調、中でも昨年のダービー覇者・三谷竜生(奈良101期)選手、平原康多(埼玉87期)選手は好調子でしょう。
ナショナルチームメンバーで久しぶりの実戦となる新田祐大(福島90期)選手、深谷知広(愛知96期)選手、渡邉一成(福島88期)選手、脇本雄太(福井94期)選手はひとまず一走を観てから調子を判断したいところ。

SS級以外の選手では自在に戦える山田英明(佐賀89期)選手が2場所連続記念優勝を成し遂げ、調子を上げていることは明らかです。小松島G3での優勝は3日制、松山G2ウィナーズカップ開催直後ということで一線級の選手の参加がなかったためにそれほど高評価にはつながらなかったものの、続く地元・武雄G3での気持ちの入った走りは本物、実に素晴らしい内容でした。

若手では小川真太郎(徳島107期)選手が2場所連続でF1優勝して、西武園G3での走りに注目していました。F1での初日の敗戦や記念での勝ち上がり失敗を観ていると、まだ一線級の自力選手を相手に勝ち切る力までには届いていないのかなと、現時点での私の評価です。

気温の上昇と共に調子も上がってきている選手がとても多いです。ゴールデンウィークという最高の日程で開催される日本選手権競輪、記録にも記憶にも残る走りで大いに盛り上がること期待しております。

【略歴】

山田 裕仁

山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身
1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー
競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード
“帝王”のニックネームで一時代を築いた
2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ
KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回
通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。
2002年に記録した年間最高賞金2億4,434万8,500円はいまだに破られていない
自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した
2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中
また、競走馬のオーナーとしても知られる

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