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2018/10/04

Junko Shitara

心に残るベストショット Vol.14

心に残るベストショット Vol.14

競輪に携わって35年、今回は寬仁親王牌です。
以前、1990年に世界選手権が日本で開催された時に建造されたグリーンドーム前橋のお話しについては書きました。寬仁親王殿下が世界選手権の名誉総裁であったことから記念の牌を下賜され、表彰式で直接、殿下から祝福のお言葉と共に優勝牌をいただける。やはり、これは実に嬉しいことで、毎回、選手は頬を紅潮させ押しいただいていたものです。
加えて、出場資格にも特徴があって、日本競輪選手会が開催するプロフェッショナル自転車競技大会で優秀な成績を収めた選手を中心に選ばれるとあって、若手自力型が上位と初めて直接対決。しかも室内、小回りバンクで早目の仕掛けでファンを沸かせるシーンも多く見られて楽しめます。
近年、国際ルールに基づくエボリューションやガールズケイリン、ブロックセブンなどが増えましたね。室内バンクの先駆けグリーンドームでのレースは以前から国際大会を意識させてくれました。しかし、最もその感慨を強くしたのが2000年の寬仁親王牌でした。この年はシドニー五輪開催、ケイリンがオリンピックの正式種目になった大会でした。
競輪がケイリンとして世界選手権で1980年に正式種目になってから20年。1993年に世界選手権などでプロアマオープンして、五輪に競輪選手が出場できるようになって、1996年アトランタ五輪はスプリントに神山雄一郎さん(栃木61期)、1㎞タイムトライアルに十文字貴信さん(茨城75期)が代表選手となりました。十文字さんが銅メダルを獲得し、競輪選手の力を示してくれて快哉(かいさい)を叫びましたが、やはり、ケイリンという言葉がシドニー五輪でプログラムに載った感慨は別物でした。
誰がシドニー五輪を走るのか?ナショナルチームの選考も激しかったですが、切符を手にした神山雄一郎さん、稲村成浩さん(群馬69期)、太田真一さん(埼玉75期)、長塚智広さん(茨城81期・引退)の4選手の動向を中心に、新聞もにぎにぎしく盛り上げていました。実際、この頃から徐々に先行選手が捲りに回っても明るく勝利選手インタビューができるようになっていました。これには「何の話し?」とか「意味が分からない」という人がほとんどではないでしょうか?

私は昭和57年(1982年)秋から競輪の取材を始めました。その頃、自力選手は先行するもので、先行策が取れなかった時に捲る。すると付いてくれている追い込み選手やファンはヒヤッとする。スタートからずっと先頭位置をキープして、そのまま逃げて(先行)押し切るか、付いているマーク(追い込み)選手とゴール勝負する、これが先行選手の主たる戦法(正攻法)でした。そう、捲りは奇襲作戦、あるいは窮余(きゅうよ)の策だったのです。だから勝ってもインタビューで「(自分だけ届くような)捲り策でスミマセンでした」となって、暗いことこのうえない!この辺りの心理を理解しないとインタビュアーは「???」ということになってしまい、非常に難しかったもの。でも、競技の要素が入ってきて、三分戦が増えたり、高回転で鮮やかに捲る戦法をカッコイイと、評価する人が増えたりしたおかげで変わってきたのです。
自力でも勝負できる神山雄一郎さんのような選手が同地区の後輩、この場合は十文字貴信さんや太田真一さんとのラインを足掛かりにタイトルを勝ち獲っていく。スピード感あるレースがドンドン展開されて、縦の勝負が醍醐味になった訳です。その申し子がナショナルチームのメンバーであり、その姿が最も映えるのがドームでの寬仁親王牌でした。

余談ですが、優勝インタビュアーだった頃、この親王牌が一番、緊張感がありました。というのも生中継ですからアクシデントは付きものです。写真判定になったり、審議になったりすれば、1分や2分はアッ!という間です。当時、競技を運営していた関東自転車競技会のみなさんとどれだけ打ち合わせをしようと、どうシミュレーションしようと、絶対はないのです。決勝レースの余韻を味わう間もなくバックストレッチから優勝選手が出てくる。カメラマン諸氏とその後ろに見える場内のファンの皆さんの熱い目線を受けながら待ち受ける私の側にススッと、スタッフが寄ってきて「1分で!」……エーーーッ、もっと聞くことあるのに!!でも、表彰式典の時間は殿下のご臨席を仰いでいることもあって秒単位まで決められています。
嬉しそうな選手に物凄くせっかちなインタビュアーが「おめでとうございます!勝因は?ファンの皆さんに一言!」エッ、もう終わり!なんてこともありました。心の中で「あとは明日の新聞各紙をお楽しみにして下さい」と、思いながら(苦笑)。
どんな時も最後まで選手を応援し、祝福の声を掛けようと待って下さるファンのみなさん、ごめんなさい。でも、たとえ一言でも、選手自らみなさんにお礼を申し上げるチャンスに手助け(足手まとい!?)してこられた優勝インタビュアーは本当に大好きなお仕事でした。

【略歴】

設楽淳子(したらじゅん子)イベント・映像プロデューサー

東京都出身

フリーランスのアナウンサーとして競輪に関わり始めて35年
世界選手権の取材も含めて、
競輪界のあらゆるシーンを見続けて来た
自称「競輪界のお局様」
好きなタイプは「一気の捲り」
でも、職人技の「追い込み」にもしびれる浮気者である
要は競輪とケイリンをキーワードにアンテナ全開!

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