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2018/11/30

Yuji Yamada

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.36

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.36

競輪界初の特別競輪ナイター開催、小倉G1競輪祭の優勝者は浅井康太(三重90期)選手でした。

この開催は「初の〜」という言葉がピッタリくる興味深い大会でした。2回の予選トライアルで得点上位者が2次予選にいけるという勝ち上がりシステム。1次予選で8着になった清水裕友(山口105期)選手は通常の大会では勝ち上がりに失敗していることになります。
2次予選はAとBがあり、Bは2着権利ということもあり、激しいレースになって落車も増えたような気がします。逆にAは4着までが勝ち上がりとあって、無理しないで権利取りの安全策でレースを運んでいる印象。このように2次予選AとBでレースの流れが違ったように思います。来年、同じ勝ち上がりならば、2次予選は予想する側もこのレースの流れの違いを考えないと、車券的中は難しくなるでしょう。

準決勝戦は通常のように3レースであった為、勝ち上がりで好調だった主力どころがそれぞれ分かれ、軸として考えるには分かりやすいレース。穴党のファンは本線が負けるか、本命選手を軸にして相手のライン崩れの高配当を狙う考えで良かったかと。
個人的に少し残念だったのは近況、そして、今開催の勝ち上がりでも好調子だった小松崎大地(福島99期)選手です。勝ち上がりは単騎戦になるも先行して2着に残るという好調さを見せていたのに、準決勝は同じ北日本地区の新山響平(青森107期)選手の番手回りなる番組構成。その新山選手も勝ち上がりで好調さをアピールして勝ち上がってきたので、なんとももったいないレース番組だったように感じます。結局、レースでは先行する新山選手の番手でレースは進みましたが、両者共に持ち味を発揮できないまま終わったように思います。

そして、準決勝レースでは他にも脇本雄太(福井94期)選手に、地元・九州地区の中川誠一郎(熊本85期)選手が番手を回れるような番組で、番組マンの思惑がありありと伝わる構成。そこをシビアに脇本選手の番手を主張した浅井選手、実はここで決勝に勝ち上がった時点で勝負は決していたのかも知れませんね。勝負に情けや遠慮は必要なく、常に勝つ為に真剣だということを見せつけられました。
決勝戦では最後のグランプリ切符を獲得する為に、各選手の色々な思惑が働いていたはずです。優勝できなくても賞金で権利取りが可能な選手も頭の中であらゆる計算をしていたに違いありません。そのあたりも微妙にレース運びに影響してくると思い、気楽に戦える脇本選手、浅井選手、平原康多(埼玉87期)選手は絶対に有利という予想をしたかったのですが、中部の並びが準決勝とは逆に柴崎淳(三重91期)選手が前回りのコメント。ん〜っ、特別競輪初の決勝戦で、しかも優勝に一番近い位置だと、誰もが分かる位置を回って簡単に勝てるのだろうか?特別競輪をいつ勝ってもおかしくないと、言われながらも……なかなか勝てずに“無冠の帝王”とまで言われた時期がある私にはどうしてもスンナリ対抗評価ができなくて、相当、予想の結論を出すのに悩むレースでありました。

決勝戦の流れを簡単に説明すると、前で受けた脇本選手を後方に位置した太田竜馬(徳島109期)選手が残り2周で抑えにいくも突っ張られ、再度、後方へ後退。4番手の位置をスンナリ確保した平原選手の捲りが決まるかどうかのレースになってしまいました。若手の太田選手は前大会、寬仁新王牌で先行して負けた清水選手のコメントを思い出して欲しかった。今の脇本選手の先行を7番手から捲ることができたのだろうか?番手がもつれた場合にチャンスはあるのかも知れませんが……結局、他人任せのレースではチャンスは少なくなってしまいます。という今回の経験を太田選手はきっとプラスに変えてくれると、期待したいところ。
さて、レースはそのまま流れ、先行する脇本選手の3番手から番手の柴崎選手との間を割った浅井選手が差して優勝。脇本選手の特別競輪3連続優勝をグランプリのチャンピオンジャージを着ている浅井選手が阻止するという結果だけみれば簡単な結果で納得いくんですがね。

浅井選手は7年ぶりのG1優勝、しかも3度目のG1優勝だと聞いて驚いたのは私だけ?もっと勝っているイメージがあるのは、それだけ安定して活躍しているということですよね。

さぁ、年末のグランプリに出場するメンバーは決まりました。もう残り1ヶ月、グランプリ出場選手は個々の作戦に合った練習をするだけです。これから日々、気温が下がっていく訳ですが、全選手が体調管理には気を配り、ベストコンディションでグランプリに臨めるように。そして、何よりも年末の底冷えを吹き飛ばす“熱いレース”を見せて欲しいですね!

【略歴】

山田 裕仁

山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身
1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー
競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード
“帝王”のニックネームで一時代を築いた
2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ
KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回
通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。
2002年に記録した年間最高賞金2億4,434万8,500円はいまだに破られていない
自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した
2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中
また、競走馬のオーナーとしても知られる

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