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2018/12/21

Shinichi Gokan

『SPIRIT OF BOSS』Vol.3

『SPIRIT OF BOSS』Vol.3

Perfecta Naviをご覧の皆様、後閑信一です。
今回は年末12月30日に静岡競輪場で行われるKEIRINグランプリ2018について触れたいと思います。

12月18日、グランドニッコーホテル東京台場にてKEIRINグランプリ2018の前夜祭が行われました。新田祐大(福島90期)選手と脇本雄太(福井94期)選手はナショナルチームの合宿のため、前夜祭は欠席という形に。私は今まで前夜祭を合宿で欠席する選手を見たことがありませんでしたので、正直、ビックリしました。さすが時代は世界基準!?と、思う反面、2選手の姿がない前夜祭は寂しい気持ちも拭い切れなかったものです。
前夜祭の前半にグランプリ当日の車番の抽選会があり、今年のグランプリの車番が決定しました。

1/三谷竜生(奈良101期)選手
2/浅井康太(三重90期)選手
3/脇本雄太(福井94期)選手
4/新田祐大(福島90期)選手
5/村上博幸(京都86期)選手
6/清水裕友(山口105期)選手
7/平原康多(埼玉87期)選手
8/武田豊樹(茨城88期)選手
9/村上義弘(京都73期)選手

共同記者会見では、1人ずつ意気込みを語った後に注目の並びの話しへ。まずは1番車・三谷選手が指名され、マイクを取りました。
「僕は脇本さんの番手にいきます」
と、コメント。続いて5番車・村上博選手で
「僕は近畿の4番手を固めます」
そして9番車・村上義選手は
「僕は弟と2人ということも考えましたが、今年を振り返ると近畿を引っ張ってきたのは脇本君や三谷君。僕がそれを崩す訳にはいかないので、3番手を回ろうと思います」
これで近畿の並びは脇本―三谷―村上義―村上博の4車結束に。


[平原康多選手]

そして、次に質問が向けられたのは関東の2人です。私はそこで「んっ!?」と、感じました。それは先にマイクを取ったのが平原選手だったからです。強気の表れか?時代の流れか?どうやら現代競輪の力絵図は先輩よりも前で走る方が先のようです!?私としては驚いたと同時に、非常に面白い場面に思えました。
関東の並びは予想通りに平原―武田となり、単騎戦の2番車・浅井選手と6番車・清水選手が順番にコメント。
浅井選手は
「今年の前半戦は思うように身体が動かず、ファンに迷惑をかけてしまいました。でも、後半戦はここへきて全てが整いました」
と、自信が確信になっていたことから自信に満ち溢れたもの。
清水選手は
「今、この場にいるのが信じられない。幸せです。見せ場を作ることができれば」
マイペースかつ等身大の清水選手らしいコメント!
私は清水選手の表情やコメントから、今回のグランプリは捌きではなく、あくまでも自力勝負での“見せ場”なのではないかと、受け取りました。


[清水裕友選手]

そして、気になったのは前夜祭を欠席した2選手。アメリカのマイアミで合宿中の4番車・新田選手と3番車・脇本選手です。
今、日本は冬本番を迎えていますが、マイアミは気温25〜27℃くらいだと言います。プロ野球の選手が冬場のオフシーズンにハワイやグアムでキャンプをしている姿をテレビで観るのは当たり前の光景です。それは同じトレーニングを冬場にするのと、夏場でするのでは、筋肉や身体の仕上がりが大きく違ってくるからなのです。実際に昨年、同じ時期にマイアミで合宿していた新田選手は2月のG1全日本選抜競輪(四日市)で異次元なスピードを見せつけて“新田一強時代!”とまで言われていたことを思い出します。そうなれば脇本選手も同様に仕上げてくるのではないか?というように考えると、脅威の存在になるのではないでしょうか。
あとは新田選手の心境が気になります。ファン投票第1位で迎えた地元いわき平でのG1オールスター競輪、準決勝での落車から約4ヶ月、日本の競輪からは完全に離れて、2020東京五輪を視野に、世界戦やトレーニングに励んでいる状況です。レース勘という部分は懸念されますが、レースでは恐れずに、身体の疲れを取って挑めば、2018年の最初と最後を新田選手は優勝で締めくくれる可能性を秘めていると思います。

“競輪とケイリン”、及び“伝統とナショナリズム”の融合がどのようなレース展開を創り出すのか?12月30日、静岡競輪場で行われる平成最後のKEIRINグランプリ2018で栄冠を掴み取るのは誰なのか?今からとても楽しみでなりません。皆様もどうかご期待下さい。


[新田祐大選手と脇本雄太選手は欠席だったので7選手によるフォトセッションとなった]

【略歴】

後閑信一(ごかん・しんいち)

1970年5月2日生 群馬県前橋市出身
前橋育英高在学時から自転車競技で全国に名を轟かせる
京都国体においてスプリントで優勝するなどの実績を持つ
技能免除で競輪学校65期生入学
1990年4月に小倉競輪場でデビュー
G2共同通信社杯は2回(1996年・2001年)の優勝
2005年の競輪祭で悲願のG1タイトルを獲得
2006年には地元・前橋でのG1レース・寛仁親王牌も制した
その後、群馬から東京へ移籍
43歳にして2013年のオールスター競輪で7年ぶりのG1優勝
長きに渡り、トップレーサーとして競輪界に君臨
また、ボスの愛称で数多くの競輪ファンから愛された
最後の出走は2017年11月10日のいわき平F1
年末の12月27日に引退を発表
2018年1月に京王閣、立川、前橋でそれぞれ引退セレモニーが行われた
現役通算2158走551勝
引退後は競輪評論家やタレントとして活躍中
長女・百合亜は元ガールズケイリン選手(102期)である

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