TOP > コラム > “帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.39

コラム

一覧へ戻る

コラム

2019/01/03

Yuji Yamada

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.39

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.39

新年あけましておめでとうございます。
皆様は平成最後という言葉だけでは片付けられないような、感慨深い年をお迎えになられたことではないでしょうか。
皆様のそれぞれに想いにある“平成”という時代ではありますが、競輪界を取り巻く状況は……売り上げ、入場者数減など、実に多難な時代であったように思えます。
2019年は平成最後の年でもあり、新しい時代の幕開けの年でもあります。偶然なのか奇しくも干支は己亥(つちのとい)で、意味合いとしてはこれまで成長してきた草木が実を結び、次の開花のため準備をする年であるとのことだそうです。私自身は微力ではありますが、競輪界のさらなる発展のために努力して参りたいと思っております。

さて、平成最後のグランプリシリーズを振り返っておきたいと思います。
初日のガールズグランプリ2018は児玉碧衣(福岡108期)選手が初手の周回位置5番手のまま動きがなく、第1センターから痺れを切らしたかのように発進した高木真備(東京106期)選手を追いかけるように捲りを放ち、見事に優勝しました。本人にとって昨年のガールズグランプリ2017で何もできずに負けた悔しさを払拭(ふっしょく)させるものではなかったでしょうか。
このレースの流れを観て、大舞台での常勝選手になるための今後の課題はレースに動きが出た時の対応力、組み立ての巧さも必須になってくるということです。

2日目のヤンググランプリ2018は松本貴治(愛媛111期)選手の先行を佐々木豪(愛媛109期)選手が番手捲りをするという二段駆けを、太田竜馬(徳島109期)選手が捲り追い込んで優勝。人気になっていた山崎賢人(長崎111期)選手もこの流れに対応できずに負けているだけに、太田選手は冷静にレースの流れを読めていたのではないでしょうか。
太田選手が今後、特別競輪でも優勝を狙っていくのであれば、今、注目されている清水裕友(山口105期)選手の積極性を見習ってもらいたいものです。太田選手は22歳という若さで、捲りの決まり手が逃げの決まり手より相当、多いというところからも後手を踏んだレースをしているように受け取れます。前々に攻める戦略を身につけておかないと、この先、脇本雄太(福井94期)選手クラスの先行選手が出てきた時に、簡単に捲って勝てるレースが続くとは思えません。

最終日のKEIRINグランプリ2018は誰もが想像できたレース展開だったのではないでしょうか?
私自身は脇本選手を本命に推していた訳ですが、優勝するというよりは車券の軸にするに本命が妥当だと考えていたからです。番手を回る三谷竜生(奈良101期)選手がスンナリ回れば、差すと予想していましたし、番手がもつれた際は逃げ切れる可能性があると予想していたからです。
結果は脇本選手の先行をスンナリ回ることができた三谷選手が差して優勝。この優勝で年間獲得賞金額が過去最高を記録、2億5,000万円超となりました。以前の記録保持者は私であったことから「記録が塗り替えられてしまって悔しいですね」と、数日の間に再三、そのように声を掛けられています。もちろん、悔しさはありますが、以前から私自身が公言しているように、競輪選手には夢があると思ってもらいたい気持ちが強かったです。他のプロスポーツ界と比較してもトップは最低でも3億円プレーヤーを望んでいました。ですから、今後もドンドン記録を更新していってもらいたいもの。
私自身は負け惜しみで「当時のグランプリ優勝賞金7,000万円だったから仕方ない」と、言い続けますから(笑)。
そんな三谷選手の課題は2018年のビッグレース3度の優勝全てが脇本選手の先行を差しての優勝なので、捲りに回っても差せるように努力すること。そして、脇本選手不在でも優勝を勝ち取るというところでしょう。

本年も拙文を綴っていくことになりますが、どうかご愛顧いただけると幸いです。
そして、文末になりましたが、2019年も皆様のご健勝とご多幸を心からご祈念申し上げます。

【略歴】

山田 裕仁

山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身
1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー
競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード
“帝王”のニックネームで一時代を築いた
2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ
KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回
通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。
2018年末、三谷竜生(奈良101期)に抜かれるまでは年間獲得最高賞金額=2億4,434万8,500円の記録を持っていた
自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した
2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中
また、競走馬のオーナーとしても知られる

ページの先頭へ

メニューを開く