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2019/02/15

Yuji Yamada

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.42

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.42

「神様って、いるのだろうか?」
誰もが1度ならずとも思ったことがあるのではないでしょうか。どうしてこんな時に?どうして私だけ?
人間はみんな、辛いことが起こると恨みが詰まった発言をすることもある。
私は『努力は必ず報われる』……自分の行動は神様に観られていると思っているタイプで、努力している人間は必ず良いことがあると思っています。ですから、『努力している人間に乗り越えられない壁はない』と。ただ、尊敬すべき人間は『神様は乗り越えられない試練は与えない』とも発言します。私のような不出来な人間だと『乗り越えなきゃいけない試練は与えないで欲しい』と、思ってしまうもんですよ。
一流アスリートから色々と勉強させられることが多いような気がしている最近であります。

今年初のG1全日本選抜競輪が別府競輪場で開催され、中川誠一郎(熊本85期)選手が見事に逃げ切っての優勝で幕を閉じました。
別府競輪場では初のG1レース開催、九州のエースが他地区の選手にタイトルを譲らなかった訳ですが、九州地区からは唯一の決勝進出で、しかも単騎での戦い。そこで先行して、逃げ切りというまさに「中川、ハンパねぇーっ!」という結果に驚くばかり。

中川選手の勝ち上がりを振り返ってみると、初日は清水裕友(山口105期)選手の番手回り。レースでも清水選手が先行するという絶好の展開になり、3番手にいた三谷竜生(奈良101期)選手に抜かれはしたものの2着でスタールビー賞へ進出。2日目のスタールビー賞では太田竜馬(徳島109期)選手のカマシ先行の8番手になり、捲り不発で7着に終わりました。この2日目の走りはある意味で中川選手らしい走りだと思って観ていたのですけれども、続く3日目の準決勝では渡邉雄太(静岡105期)選手がスローペースで先行態勢に。そこを最終ホーム8番手から早目のロングカマシ捲りを決めての1着ゴール。この準決勝で「今回の中川選手はいつもとは違う!」と、私はこの時点で中川選手の優勝を予想したのです。

しかし、決勝戦は単騎で吉澤純平(茨城101期)選手と武田豊樹(茨城88期)選手の師弟、絶好調の松浦悠士(広島98期)選手らを相手に、どのように走るべきなのか?という判断は難しかったと思います。実際、準決勝後に中川選手と話しをする機会はあったのですが、「明日は必ずペースが緩む時、ワンチャンスがあるから、そこで勇気を出して思い切り仕掛けられるか」という具体的なアドバイスはできませんでした。でも、決勝戦では外併走という中途半端な態勢からカマシて逃げて、そのまま押し切り。まさに力の違いを見せつけたレースでありました。

「年末のグランプリ切符を最初に獲得。ここからは高みの見物で戦わせてもらいます」
レース後のコメントで中川選手は周囲を笑わせていましたが、これからはグランプリ優勝に向けてさらにパワーアップしていくことでしょう。そして、今年、残されている5つのG1レースでどれだけ九州勢の力になることができるかが大きなポイントに。味方を多く連れていければ、年末のグランプリは有利に戦えるということは昨年の近畿勢が実証済みです。

今年初のG1を全体的に振り返ると__。
自転車は二輪走行で、確かに相互の動きにより失格に該当しない落車があるのは事実。ですが、不注意による落車、プロならば避け切れた落車があったのではないでしょうか?
お客様にしてみれば当たり車券だと思った瞬間に、ただの紙クズになってしまう。その悔しさ、怒りはどこにぶつけるのでしょう?それも競輪、それがあるから競輪と、思う関係者がいるのであれば未来の競輪はますます心配です。
今開催は売り上げ目標を10億円も下回ってしまったことを、選手も含め、関係者(もちろん、私もその1人です)は重く受け止めるべき結果。今後に向けて、さらに努力が必要だと、改めて考えさせられる開催でした。

【略歴】

山田 裕仁

山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身
1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー
競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード
“帝王”のニックネームで一時代を築いた
2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ
KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回
通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。
2018年末、三谷竜生(奈良101期)に抜かれるまでは年間獲得最高賞金額=2億4,434万8,500円の記録を持っていた
自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した
2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中
また、競走馬のオーナーとしても知られる

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