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2019/03/26

Junko Shitara

心に残るベストショット Vol.18

心に残るベストショット Vol.18

競輪に携わって36年、今回は3月21日から24日までG2第3回ウィナーズカップが開催された大垣競輪場です。

平成4年に中野浩一さん(福岡35期・引退)が引退。後を託されたのは同じ福岡の吉岡稔真さん(福岡65期・引退)でした。その吉岡さんに遅れること1年、平成5年にはタイトルホルダーに名乗りを上げ、一躍、王者の座を奪い合う位置に上り詰めた神山雄一郎さん(栃木61期)。この2人の熱戦に次ぐ熱戦は“東西横綱時代”と、銘打たれて競輪界を再び黄金期へと盛り上げていくことになったのであります。

平成6年全日本選抜競輪が岐阜・大垣競輪場で行われました。7月29日に幕を開けた大会は8月3日が決勝戦。そう、まだ6日制でした。勝ち上がりの組み合わせが3レースしかない日もあって、今より少しのんびりムードかと想像する方もいるかも知れませんが、そこは黄金期、一般戦(俗に言う負け戦)もタップリ楽しむファンの皆さんの姿で場内はあふれかえっていたのです。また、この時は暑さが連日の話題になっていました。今でこそ熱中症の警戒レベルや最高気温が連日のように報じられていますが、この時代はまだ“不快指数”という言葉で語られるくらいでした。でも、実は当時のバンク状況を示すデータを見ると、9R(15:00くらい)で39℃まで上がっています。ちなみに競輪場の温度計は通常、風通しの良い日陰に設置されているはずですから……そこで39℃ということはアスファルトのバンク表面の温度は考えるのも恐ろしいっ!!
私も毎日、検車場に出入りしながら、クーラーで冷やされた室内と熱気がまといつく外気の差に、疲れを意識しながらの取材。何とも嫌な倦怠感が体の芯に溜まっていくようでした。

一方、レースはと言うと、世代交代に拍車をかけたのか!?やはり、ベテラン勢が次々と姿を消し、中心は60期代へ移っていました。しかも決勝に名乗りを上げた9人のうちで、追い込みと言い切れたのは神奈川の高橋武さん(神奈川50期・引退)と遠澤健二さん(神奈川57期)の2人のみ。滝澤正光さん(千葉43期・引退)と高橋光宏さん(群馬56期・引退)の両者は捲脚もあり、残りの神山雄一郎さん、吉岡稔真さん、高木隆弘さん(神奈川64期)、山本真矢さん(京都65期・引退)、稲村成浩さん(群馬69期)が先行捲りと、展開の読み辛いことこのうえないメンバーでした。
そして、事件は!選手紹介で起こったのです。

なんと山本真矢さんの後ろで、神山さんと吉岡さんが並走しているではないですか!!
この年、徹底先行で名を馳せていた山本さんは少し元気のない日々が続き、S級から陥落か!?というところまでいっていました。でも、夏の声と共にピリッ!と、してきて、この大会では闘志とパワーがみなぎる競走で“チョット違う”感を漂わせていました。それが東西の両雄を動かしたのか、2人が山本さんの後ろの位置を争う姿勢を見せたから観客席は大騒ぎ。それだけ山本さんが強いという証明でもありますが、一方で両雄の力の差が微妙だとも言えます。
結果、レース中も並走が続き、最終ホームですかさず高木さんが動き、吉岡さんが番手捲り。稲村さんも仕掛け、稲村さんに乗った同県の高橋光宏さんが優勝。2着は吉岡さんの後ろに入っていた神山さん、3着に吉岡さん。展開からは想像できない表彰台の顔ぶれでした。

優勝した高橋さんは勝負の世界に生きているとは思えない穏やかな笑顔の人でした。奥様は元競艇選手、その奥様に苦労を掛けてきたことが思い出されたのか、優勝インタビューで涙交じりに喜びを語りました。サラリーマン生活からの転職組、しかも9年目の美酒と、シミジミ喜びを噛み締めていました。若手自力選手の前へ、前へ攻めるレースに目を奪われていたら、スルッと、間隙を突いて優勝をさらった高橋さん。本当に競輪の展開の妙を感じたレースでもありましたし、9人それぞれの人生の一コマが凝縮して、交差する瞬間が決勝ゴールであることをも考えさせられました。

前述しましたように暑さとの戦いでもあったこの大会は、私にとっても人生を考える一つのターニングポイントでした。テレビ中継に変わってほぼ10年が経ち、地上波と呼ばれるテレビ局だけでなく、ケーブルテレビやCS放送といった様々なメディアが競輪に関わり、とにかくレース中継が増えた時期でした。それまで公営競技は他のスポーツと同様に男性アナウンサーの独壇場でした。しかし、競輪を長時間に渡って喋れる男性アナウンサーは多くない。だから、私のような女性、しかもキャリアの浅い者にもお声が掛かっていたのです。そのような時、必死で仕事する私を支え、教え、導いてくれた制作会社がこの大会で初めて全レースの中継をテレビ局から任され、実質、取り仕切っていました。そう、彼らにとって勝負の大会だった訳です。しかし、無理がたたって、前検日の晩に社長が倒れ、帰らぬ人となってしまったのです……。それでも、若いスタッフたちが奮闘して、無事に6日間の全レース映像はシッカリ流れました。
大会前に電話で話した時の社長の力ない声。だけど、嬉しそうに「いよいよなんだ」と、成功を誓う言葉が今も耳に蘇ります。恩人にはもう会えませんが、今の競輪中継の礎を作った1人の想いが大垣のバンクには眠っていると、私は信じています。
『初日の1レース目から最終日のさようならまで淡々と!でも、着実に!』

【略歴】

設楽淳子(したらじゅん子)イベント・映像プロデューサー

東京都出身

フリーランスのアナウンサーとして競輪に関わり始めて35年
世界選手権の取材も含めて、
競輪界のあらゆるシーンを見続けて来た
自称「競輪界のお局様」
好きなタイプは「一気の捲り」
でも、職人技の「追い込み」にもしびれる浮気者である
要は競輪とケイリンをキーワードにアンテナ全開!

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