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2019/04/10

Shinichi Gokan

『SPIRIT OF BOSS』Vol.8

『SPIRIT OF BOSS』Vol.8

私も現役時代に数え切れない程、骨折してきました。2度、3度、ICU(集中治療室)に入ったこともあります。ドクターヘリで運ばれたこともあり、家族も呼ばれるような命に関わる落車事故も経験しました。それでも、毎回、思うことは「ヨーシ、やったろうじゃねぇか!」と、ただこれだけでした。どんなに辛い苦難に見舞われても絶対にヘコタレない!落ち込んでいたら敵が喜ぶ!負けず嫌いな私は1日でも早く退院して、レースへ復帰することに執念を燃やしていました。普通、2ヶ月休むならば、私は3週間で。1ヶ月半休むならば、私は2週間でレースに復帰。時には1場所も欠場せずにレースに復帰して、周りの同業者をビックリさせたこともありました(笑)。幸い私は現役時代、東京都心に住んでいたので、その恵まれた環境を最大限に活かしました。積極的に最新の医療と最新のリハビリやトレーニングに巡り会えたことで40歳を超えても怪我にも負けず、タイトルを獲れるパフォーマンスも発揮できたのだと思います。

清水選手は昨年の栄光から初めての挫折。その後の清水選手が気になっていましたが、奈良G3と玉野G3の2場所を欠場しただけで、見事に大垣G2ウィナーズカップで復帰。そこには同じ別府G1で落車をしたグランプリ王者・三谷竜生(奈良101期)選手も肩鎖関節の手術をしたにも関わらず、シッカリ復帰してきました。はい、この2人は気持ちが強く、本当に立派です。
そして、復帰した清水選手のウィナーズカップでの走りを毎日、現場で観ていましたが、鎖骨が粉々に折れた選手とは思えない程の攻めるレースでした。本人は「全く納得がいかなくて情けない、お客さんに申し訳ないです」と、言っていましたが、4日間のレースで攻める姿勢は崩さず。時には身体をぶつけて闘志を見せたレースもあり、S級S班の清水裕友として相応しい立派な戦いであったことは間違いありません。

脇本雄太(福井94期)選手の優勝で幕を閉じた第3回ウィナーズカップ。この栄光の裏で、挫折と懸命に格闘していた清水選手にスポットを当ててみました。2019年は残り約8ヶ月、まだまだ清水選手の走りから目が離せません。

【略歴】

後閑信一(ごかん・しんいち)

1970年5月2日生 群馬県前橋市出身
前橋育英高在学時から自転車競技で全国に名を轟かせる
京都国体においてスプリントで優勝するなどの実績を持つ
技能免除で競輪学校65期生入学
1990年4月に小倉競輪場でデビュー
G2共同通信社杯は2回(1996年・2001年)の優勝
2005年の競輪祭で悲願のG1タイトルを獲得
2006年には地元・前橋でのG1レース・寛仁親王牌も制した
その後、群馬から東京へ移籍
43歳にして2013年のオールスター競輪で7年ぶりのG1優勝
長きに渡り、トップレーサーとして競輪界に君臨
また、ボスの愛称で数多くの競輪ファンから愛された
最後の出走は2017年11月10日のいわき平F1
年末の12月27日に引退を発表
2018年1月に京王閣、立川、前橋でそれぞれ引退セレモニーが行われた
現役通算2158走551勝
引退後は競輪評論家やタレントとして活躍中
長女・百合亜は元ガールズケイリン選手(102期)である

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