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2019/05/08

Yuji Yamada

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.47

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.47

令和元年、令和初という言葉が常について回った松戸G1第73回日本選手権競輪、通称=ダービーの優勝者は脇本雄太(福井94期)選手!競輪史に残る輝かしい脇本選手の“完全優勝”で幕を閉じました。
ダービーにおける完全優勝は1986年の滝澤正光さん(千葉43期・引退)以来となる34大会ぶりの快挙。そして、GIレースでの完全優勝も1998年のオールスター競輪(一宮)の山口幸二(岐阜62期・引退)以来、21年ぶりだということです。
令和元年、まさに新時代到来!という言葉にふさわしい結果になったと思います。

脇本選手の勝ち上がりの中にゴールデンレーサー賞がありましたが、このレースは単騎での戦いとなりました。終始、9番手を回るレースながらも最後はサクッ(あくまでも観ている側の印象です)と、捲っての完勝。上がりタイムは9秒1で、バンク記録に0秒1差という驚きのタイムでした。しかもこの一戦では新フレームを試しての完勝ということでさらに驚かされたもの。ですが、脇本選手はこれだけのタイムを出して勝っても「まだまだ納得していない」と、準決勝ではフレームを元に戻してしまうのです。

ゴールデンレーサー賞を走った選手はほぼ優勝するであろうと思われるレベルの選手たちが集結したレース。そこで9番手から捲り切ることができ、さらにタイムも出ていれば普通は納得してしまうものです。私が脇本選手の立場であったならば、そのままのフレームで準決勝戦以降も戦っていたに違いありません。とにかく脇本選手がどれだけ上を志しているのかと、ただただ驚くばかりでした。

さて、決勝戦ですが、平均年齢28.4歳という若いメンバーが揃うことに。新元号に変わったことで、新時代になったと言わんばかりの世代交代を印象づけるようでもありました。
準決勝後、私は決勝戦進出者のコメントを聞いて、このシリーズで深谷知広(愛知96期)選手の調子が良かっただけに単騎での戦いになったことが非常に残念でした。深谷選手のスピードが“ストップ・ザ・脇本”の対抗一番手になると思っていたからです。
評論家、競輪ファンの大半の展開予想は清水裕友(山口105期)選手の先行、中団に渡邊雄太(静岡105期)選手、後方から自分のタイミングで脇本選手が仕掛けてくる。その時に深谷選手がどこにいるのか?脇本選手の番手を回る古性優作(大阪100期)選手が追走できるのか?という予想をしていたはずです。それが実際は各々の選手が力を出し切り、本当に素晴らしいレースになりました。

先行したのは渡邊選手、単騎の深谷選手は内から3番手を取りにいき好位置を確保。清水選手も脇本選手を牽制しながら中団、脇本選手は自分のタイミングがきたら仕掛けるという後方からのいつものレース。そして、3番手から深谷選手が仕掛けると、渡邊選手の番手の田中晴基(千葉90期)選手がナイスブロックの連発で深谷選手のスピードを完全に止めてしまう。

もちろん、この時の田中選手も素晴らしい動きでしたが、深谷選手の仕掛けるタイミングが……前と車間が詰まったので仕掛けたけれども、少し躊躇(ちゅうちょ)したタイミングだったような気もしています。脇本選手が仕掛けてくる前に自分から仕掛けてスピード勝負に持ち込む作戦としては素晴らしかったと思いますが、もう少し前走者との車間を取り、自分の完璧なタイミングでの仕掛けだったならば、捲り切れていたような気もします。
その深谷選手が止められた上を今度は清水選手が捲りに動く、そのラインの後ろにいた単騎の菅田壱道(宮城91期)選手は最内コースを選択、最後は内のコースがなくなってしまったので、菅田選手は少し窮屈(きゅうくつ)な運びにこそなってしまいましたが、単騎を選択して何もできずに終わるよりは見せ場を存分に作りました。

その大外を脇本選手が捲っていき、先捲りした清水選手とのゴール勝負になるという結末。本当に全ての選手が見せ場をシッカリ作ってくれた、G1決勝戦ならではの名勝負、最高のレースになりました。

冒頭でも述べましたけれども、脇本選手の優勝は競輪史にも、記憶にも残る素晴らしいレースでした。そして、優勝者である脇本選手は「進化し続けないといけない、止まってはダメ」とも発言しています。強い選手が進化し続けていってはさらに差が開いてしまう一方ですが、今開催の決勝を走った選手たちのように進化を求めていくことで、今後も見応えのあるレースがもっと増えていくはずだと、私はそう信じると共に、期待しています。頑張って下さい!!

【略歴】

山田 裕仁

山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身
1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー
競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード
“帝王”のニックネームで一時代を築いた
2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ
KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回
通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。
2018年末、三谷竜生(奈良101期)に抜かれるまでは年間獲得最高賞金額=2億4,434万8,500円の記録を持っていた
自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した
2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中
また、競走馬のオーナーとしても知られる

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