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2019/06/02

Shinichi Gokan

『SPIRIT OF BOSS』Vol.10

『SPIRIT OF BOSS』Vol.10

Perfecta Naviをご覧の皆様、後閑信一です。
今回は『競輪』と『ケイリン』の線引きについて、私の思いを書きたいと思います。

現在の競輪界は完全に五輪ムードのような気がします。脇本雄太(福井94期)選手の圧倒的な強さに魅了され、脇本選手のようなスピードを手に入れたい!と、思う選手も数多くいるようです。そして、実際に脇本選手や新田祐大(福島90期)選手、深谷知広(愛知96期)選手などのナショナルチームの選手から話しを聞いて、体を絞り上げ、ウェイト・トレーニングを採り入れる選手が多くなったように感じます。

私はウェイト・トレーニングを採り入れることは否定しませんが、大前提として「自分の持って生まれた体格や得意分野などの長所は捨てず、シッカリ軸は持ちながら」で、取り組んで貰いたいものです。
深谷選手から伺った話しでは……ナショナルチームは何年もかけてスケジュール管理され、本業の競輪のレースに出場しないで基礎から強靭な肉体を作っています。賞金を稼げないデメリットはあるが、自分のやりたい夢に向かって頑張っているナショナルチーム。そのナショナルチームに対抗しようと、競輪選手たちがナショナルチームのトレーニングを採り入れる。毎月、何レースも走る中でも肉体改造をして、ウェイト・トレーニングをはじめ頑張る姿が見られます。競輪選手たちは今まで以上に意識が高くなり、やるべきことが増えて、楽しくなってきたのではないでしょうか。

一昔前、イエローラインがなかった頃は圧倒的にナショナルチームの選手よりも競輪選手の方が強かったものです。強い競輪選手に「ナショナルチームに入っちゃったの?」なんて冗談もよくありました。ただ、それはナショナルチームに入ると、競輪での横の動きが省かれ、前へ進んでタイムが出すことに重点が置かれるからです。ナショナルチームはそれが結果となる世界で、当時はここで完全に『競輪』と『ケイリン』の線が引かれていたように思えます。単独走行ではタイムも出る、スピードも速いけれども……複数で揉み合いになったり、小競り合いをしていては落車につながり、競技での大会に影響してしまう。よって安全第一の走りになってしまう。
そのような時代でありましたが、イエローラインが引かれたことで、先行選手がイエローラインを超えて走れなくなりました。そこでナショナルチームの選手が怖がらずにカマシに行ったり、捲ったりしやすくなったことも現在の競輪界で活躍できる要因になっているのだと思います。
時代の流行や変化にいち早く対応して、結果に結びつけなければならない競輪選手は突然、決められたルールの中でも適応していかなければなりません。そして、その過酷とも言える状況でもベストを尽くし、車券を購入して下さっているファンの皆様のご期待に応えなければいけないのです。

私自身、競輪選手は高校卒業後から一生を貫いて飯を食べていけ、家族を養っていける職業だと思っていました。しかし、今回の五輪ムードの影響から『競輪の技術』よりも『ケイリンの体力』がないと、生き抜けない時代になってきているのか!?とも考えさせられる訳です。そうなると、野球・サッカー・陸上・バスケットボールなどの選手たちと変わらない選手寿命になってしまうのか!?と、時代のシビアな移り変わりに危機感を抱いてしまう瞬間があります。
公営競技の競馬・ボートレース・オートレースは馬やエンジンが選手を運んでくれますが(そこには当然、技術や経験も必要となってきます)、競輪は自分自身の肉体がエンジンとなり、自転車を進ませなければなりません。そこを考えると『競輪』と『ケイリン』の線引きで、これから大切になってくるのは見せ方なのかも知れません。私個人としては『ケイリン』を歓迎する気持ちもある反面で、『競輪』の深みを感じられないまま終わって欲しくないという部分があるからです。

最後に、私から競輪選手のみなさんに伝えたいことがあります。スピードに気持ちが向いているのは悪いことではありません。でも、スピードや上がりタイムが出たからと言って、決して成功ではないのです!
競輪選手はスピードのある外国人選手やナショナルチームに対して、技と知恵で勝つことでお客様を魅了する。そして、車券を購入していただくことで、売り上げがアップする!それこそが競輪選手としての成功なのです!

私はテオ・ボス選手が世界チャンピオンになり、初来日した時、彼に勝ったことで“日本のBOSS”というニックネームがつきました。また、シェーン・パーキンス選手が世界チャンピオンに輝き、日本へ来日した際にはパーキンス選手の第2コーナーからの捲りを差して、私は優勝したことがあります。
パーキンス選手(当時26歳)からは「ミスター・ゴカンはなんで世界戦や五輪にエントリーしないんだ?」という質問を受けました。私は当時の年齢である43歳をパーキンス選手に告げると「オー?ミステリー」なんてビックリしていたものですが、これこそが私は競輪選手だ!と、引退をした今でも思っております。筋肉も大切ですが、身体の反射や仕組みにも宝は山のように隠されています。それは研ぎ澄ませば見えてくるものなので、是非、追い求めるべきなのです。
やっぱり、競輪選手は一生の仕事であって欲しいもの。それには売り上げが全てなのです!選手みなさんのご活躍と成功を心から祈っております!

【略歴】

後閑信一(ごかん・しんいち)

1970年5月2日生 群馬県前橋市出身
前橋育英高在学時から自転車競技で全国に名を轟かせる
京都国体においてスプリントで優勝するなどの実績を持つ
技能免除で競輪学校65期生入学
1990年4月に小倉競輪場でデビュー
G2共同通信社杯は2回(1996年・2001年)の優勝
2005年の競輪祭で悲願のG1タイトルを獲得
2006年には地元・前橋でのG1レース・寛仁親王牌も制した
その後、群馬から東京へ移籍
43歳にして2013年のオールスター競輪で7年ぶりのG1優勝
長きに渡り、トップレーサーとして競輪界に君臨
また、ボスの愛称で数多くの競輪ファンから愛された
最後の出走は2017年11月10日のいわき平F1
年末の12月27日に引退を発表
2018年1月に京王閣、立川、前橋でそれぞれ引退セレモニーが行われた
現役通算2158走551勝
引退後は競輪評論家やタレントとして活躍中
長女・百合亜は元ガールズケイリン選手(102期)である

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