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2019/06/19

Yuji Yamada

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.50

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.50

新競技規則になって初のGI高松宮記念杯競輪が岸和田競輪場で開催されました。そして、中川誠一郎(熊本85期)選手が2月の別府G1全日本選抜競輪以来、今年2回目のGI制覇を成し遂げたのです。

初日、西の特選での中川選手の走りは九州地区1人だったこともあり、単騎での戦いとなりました。脇本雄太(福井94期)選手、三谷竜生(奈良101期)選手の後ろを追走。太田竜馬(徳島109期)選手の打鐘過ぎカマシ先行、これをホームから脇本選手が巻き返しての追走になりました。第3コーナーで中川選手が少しばかり遅れたので、太田選手の番手にいた清水裕友(山口105期)選手に入られてしまい、4着ゴールという結果でした。

2日目の白虎賞では清水選手の番手へ回りました。その清水選手は不破将登(岐阜94期)選手の先行の中団を取って、捲りにいったものの番手の竹内雄作(岐阜99期)選手が番手捲りに出たために併されてしまう。そこで外に浮いたところの内をすくって、竹内ラインを追走しての3着という結果に。

準決勝は九州3車の先頭。竹内選手の先行7番手から捲り上げ、先捲りの脇本選手を追いかけるような形になりましたが、惜しくも差せずに2着に終わりました。

そして、決勝戦では脇本選手の番手を回ることができ、その脇本選手の先行を差して優勝。ここで注目したいことは……今回の決勝戦のラインの先頭を走った相手選手は平原康多(埼玉87期)選手、新田祐大(福島90期)選手、清水選手であり、先行することが勝ちパターンの選手ではないということです。自力選手はいるが、脇本選手の先行1車と、言い切ってもおかしくないメンバー構成で、脇本選手の番手をスンナリ回れ、おまけに脇本選手が決して絶好調ではなかった。『運も実力のうち』とはよく言いますけれども、2月の全日本選抜での単騎で先行しての逃げ切りとは違い、中川選手は持ってる男っぷりを証明したのではないでしょうか。
さらに中川選手のG1レース決勝進出回数は今回で4回目だったということ。そのうちの3回を優勝しているというのは素晴らしい、かつ驚くべき勝負強さであります。特別競輪で優勝するには脚力はもちろんのこと、このような勝負強さも必要となってくるのです。

選手はプロですから必ず勝ちパターンを探してきます。しかし、今開催もレース後の選手のコメントの中には「新ルールに対応した走りを試行錯誤しています」というものが多かったです。走っている選手が迷っているということですから、お客さんも含め、予想する側はもう少し迷う日が続きそうであります。
ただ、 トッププレーヤーの走りの中から少し見えてきた部分も。それは競艇ダッシュと、呼ばれるような残り2周の誘導退避可能線目掛けてダッシュ、とりあえず出る。誘導員に対して、外入できないし、必要以上に外から締められる訳でもない。なので、後ろから抑えにきても引かない、誘導員退避後に内から突っ張る。今後はこのようなレースが増えるかも知れませんね。

最後に……今開催も売り上げ目標は達成できませんでした。今回の高松宮記念杯競輪は同時開催の競馬G1もなく、おまけに競馬界は禁止薬物問題で除外馬が数多く出たことで、売り上げが前年度比63%弱というレースも出たくらいの大打撃。ということで、他の公営競技の影響はほぼ関係なく、現時点での世間一般の競輪への関心の低さが浮き彫りになった結果とも言えるでしょう。
新ルールという形で一つの改革がなされましたが、他にもまだまだ競輪界には改革が必要なことがあるように思えます。

【略歴】

山田 裕仁

山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身
1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー
競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード
“帝王”のニックネームで一時代を築いた
2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ
KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回
通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。
2018年末、三谷竜生(奈良101期)に抜かれるまでは年間獲得最高賞金額=2億4,434万8,500円の記録を持っていた
自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した
2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中
また、競走馬のオーナーとしても知られる

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