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2019/07/03

Koichi Moriizumi

『森泉宏一の実況天国』Vol.15

『森泉宏一の実況天国』Vol.15

トップ画像の新聞記事は何だと思いますか?
これは私の生まれる3年前、昭和56年のものです。
記事の内容はボートレースのオールスター(当時の名称は笹川賞)優勝戦の記事。
この優勝戦、勝ったのは岡山の貴田宏一選手。
岡山支部の選手として、この笹川賞を含めSG2冠の実力者。
前回のコラムでボートレース実況を志す話しをさせていただきましたが。
そのキッカケのひとつになった“父親が好きだったボートレーサーが私の名前の由来”という話し。
実はこの貴田選手なのでありますっ!

この新聞記事はボートレース多摩川で研修中。
ある大ベテランのアナウンサーの方に名前の由来の話しを。
そして、貴田選手は一体、どんな選手だったのか?
という問いかけに対して、膨大な資料の中からコピーしていただいたものです。
実際、貴田選手にお会いしたことはないのですが、それはもう感動の対面をしたような気分に。
それからというもの公営競技に限らず、仕事の時はこの新聞記事を持ち歩いています。
何と言っても、私のルーツですから。

さて、本題に入りますけれども……10年以上前のことなので、記憶がかなり曖昧(苦笑)。
思い出すことにかなりの時間を割いてしまうので、なかなか筆が進まず。
書いては消して、書いては消しての繰り返しですが、飽きずにお読みいただけると幸いです。

時は2008年の秋。
ボートレースの実況のお話しをいただき、いざ研修へ!という運びになりました。
後に知ったことですが。
普通、公営競技の実況を志す人はラジオNIKKEIの『レースアナウンサー講座』を受講するのが慣わしだそうです。
そこで座学や実技、さらには現地見学などが行われるとのこと。
そのアナウンサー講座の卒業生一覧を見ると、現在、各競技のレース場で実況を担当する方ばかり。
かたや僕は、のっけからレース場へ行き、最初から最後まで現地研修。
現地では先輩アナウンサーにつき、師弟関係となり、手とり足とり教えていただきました。
他のアナウンサーとは異なる正規ルートではありませんが。
今、思えば物凄く贅沢な環境(そもそも師匠も正規ルートではない)だったものです。

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