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2019/07/19

Yuji Yamada

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.52

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.52

我が家では“真夏の祭典”もとい“真夏の採点”が行われました。前期の期末テストに向けて子供たちは勉強漬けの日々。その子供たちから父親(私です!)への点数は50点だそうです……まぁ、毎日、テレビを観ながらダラダラしている生活なので厳しい評価となりました。努力している子供たちからは父親の生活は見本になるようなものではないとのこと。ここは現役時代、一発勝負が得意だった私としては後半戦での大逆転に向けて、生活習慣&態度を改めていこうかなって、ほんの少しだけ思いました(笑)。

競輪界で“真夏の祭典”=G2サマーナイトフェスティバルが別府競輪場で開催されました。決勝は松浦悠士(広島98期)選手と吉田拓矢(茨城107期)選手とのもがき合いを渡邉雄太(静岡105期)選手が捲り、その番手から村上博幸(京都86期)選手が差して優勝という結果で無事に幕を閉じました。
村上選手と言えば、特別競輪の決勝戦進出者常連というイメージがありますけれども、優勝は2014年2月の高松G1全日本選抜競輪以来、4年5ヶ月ぶりというから少し驚きました。それと言うのも村上選手は今年に入って、1月の松阪記念、2月の奈良記念と、連続優勝を果たす好スタート。この頃の調子の良さ、強さを思えば、今回のサマーナイトフェスティバルの優勝はそんなに驚くこともないはずなのに……近況、目立つ成績ではなかったということだけで、年頭の安定感を私が忘れてしまっていただけなのですよね。日頃は「1年がアッ!という間に終わってしまう」なんて言いながら、半年前のことが随分と昔のことのように感じてしまうという不思議な現象を感じてしまいます(苦笑)。

さて、この決勝戦を振り返ると、競輪で勝つには運も必要なのかなって、改めて思いました。決勝戦への勝ち上がり方、決勝メンバーを見ると、村上選手は地区的に番手の位置がないことが予想されました。しかし、佐藤慎太郎(福島78期)選手が準決勝でラインを組んだ渡邉選手の番手ではなく、吉田選手の番手を回る平原康多(埼玉87期)選手の後ろ、関東ラインの3番手を選択。これで渡邉選手の番手が空いて、村上選手に回ってきたところから勝ち運もあったのでしょう。そして、レースでは先行するはずであった吉田選手の番手回りの平原選手が当然のように一番人気に推されていましたが、最終ホームで仕掛けなければいけない展開になった松浦選手の動きによって平原選手は内に詰まります。結果、平原選手は仕掛けるタイミング、コースがなくなるという不運。この展開もあったので村上選手は優勝することができたのでは。もちろん、ゴール前では捲りの渡邉選手を差すという力は必要な訳ですが、ここにたどり着くまでに少しの運も必要なのではないかと。

村上選手は4月が誕生日だったので、もう40歳になっています。今の競輪界は脇本雄太(福井94期)選手を筆頭に、ナショナルチーム仕込みのスピードが圧倒的にリードしています。その中で「どうやって対応して勝つか?」というのは、全ての選手に当てはまる課題でもあります。村上選手は「勝てるチャンスがきた時に勝てるように練習している」と、向上心を持ち続け、常に試行錯誤しているそうです。こういう姿勢であるからこそ、まだまだ年齢を理由に弱くなったとは言われない選手の1人なのでしょう。本当に尊敬できますよね!

間もなく梅雨も明けて、これから本格的な暑い夏がやってきます。選手のみなさんには熱中症をはじめとして、体調管理に気をつけて練習に励んで欲しいものです。

【略歴】

山田 裕仁

山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身
1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー
競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード
“帝王”のニックネームで一時代を築いた
2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ
KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回
通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。
2018年末、三谷竜生(奈良101期)に抜かれるまでは年間獲得最高賞金額=2億4,434万8,500円の記録を持っていた
自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した
2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中
また、競走馬のオーナーとしても知られる

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