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2019/09/19

Yuji Yamada

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.56

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.56

もちろん、この運を引き寄せられたのは平原選手に差されることを恐れずに思い切り良く仕掛けたから。競輪は脚力だけでなく『思い切り』も大切な要素です。この決勝を例に挙げれば、捲った郡司選手の上がりタイムは11秒0。競輪で勝負を決するのはタイムではないとも言われています。しかし、いくら絶好調でレースに参加できたとしても、この上がりタイムの捲りを後方からさらに捲り上げて勝つには……一体、どれほどの個人上がりタイムが必要になるのか?一度、脚を使ってでも位置取りをシッカリするという『思い切り』も勝つための必要条件だと思います。

郡司選手は6月の岸和田G1高松宮記念杯の初日に落車して、鎖骨骨折と指の腱を負傷しました。それでも復帰初戦となった8月の名古屋G1オールスターで決勝進出。さらに驚くことに復帰2戦目の地元・小田原G3で早くもグレードレースの優勝を達成しました。練習と本番では感覚がかなり違うので、なかなか結果に繋げることができない選手が数多くいる中で、こうも簡単に結果を出してしまうことに驚きを禁じ得ません。そして、復帰3戦目でG2優勝。この先、さらに調子は上がっていくと思われますし、念願のG1初優勝する日もそう遠くはないのじゃないでしょうか。

グランプリ出場に向けて、残すG1はあと2戦。獲得賞金争いも熾烈(しれつ)になり、ますますグレード戦線が楽しみになってきました。残り2ヶ月の間、選手たちには焦らず『自然体』で、持ち得る力を存分に発揮してもらいたいものです。

末筆ではございますが、千葉県を中心に大きな被害をもたらした台風15号の通過からもうすでに数十日が経過しました。一部地域ではいまだに停電や断水が続いています。近年、地震をはじめ『自然の力』の恐ろしさを嫌というほど痛感させられます。1日も早い復旧を願うばかりです。

【略歴】

山田 裕仁

山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身
1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー
競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード
“帝王”のニックネームで一時代を築いた
2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ
KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回
通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。
2018年末、三谷竜生(奈良101期)に抜かれるまでは年間獲得最高賞金額=2億4,434万8,500円の記録を持っていた
自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した
2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中
また、競走馬のオーナーとしても知られる

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