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2019/10/19

Yuji Yamada

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.58

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.58

前橋G1第28回寛仁親王牌・世界選手権記念トーナメント、村上博幸(京都86期)選手が5年ぶりのG1制覇を果たしました。その寛仁親王牌を振り返ってみます。
初日の村上博選手は日本競輪選手会理事長杯からのスタート。近畿勢は南潤(和歌山111期)選手を先頭に、三谷竜生(奈良101期)選手、村上博選手、村上義弘(京都73期)選手の並びでした。しかし、先行した横山尚則(茨城100期)選手を南選手が叩き切ることができずに最終ホームから南選手の後ろの三谷選手が自力にチェンジ。近畿3車が抜け出しますが、清水裕友(山口105期)選手が豪快に捲って1着。村上博選手はゴール前で三谷選手を差しての2着でした。

続く2日目のローズカップは三谷選手の番手回りでしたが、清水選手の先行で三谷選手が8番手から動けず、村上博選手も8着ゴール。
準決勝も三谷選手の番手回りで、佐藤博紀(岩手96期)選手の先行から番手捲りをした小松崎大地(福島99期)選手を三谷選手が追走する形になり、最終バックは3番手通過から流れ込んでの3着ゴール。

迎えた決勝戦も村上博選手は三谷選手の番手回りでした。清水選手の番手でインに小松崎選手、アウトに中川誠一郎(熊本85期)選手が併走する展開になったことで隊列が短くなり、しかも清水選手がスローにペースを落としたことで三谷選手が打鐘から思い切ってカマシ先行。村上博選手はゴール前で三谷選手を差し切って優勝を飾りました。

今開催、4走全て三谷選手の番手を回れたというツキだけでなく、決勝で清水選手の番手を中川選手が選択してくれたことにもツキがありました。中川選手が自力戦を選択していれば、これまた違ったレースの流れになり、三谷選手が先行できていたかは分からなかったと思います。この部分、私がいつも言及している勝つために必要な“少しの運”でした。村上博選手は5年ぶりのG1優勝ということですが、この結果を出すには相当の努力をしてきたことは想像に難くありません。本当におめでとうございました。

敗れた選手に少し苦言を呈させていただきますが、準決勝での松浦悠士(広島98期)選手はラインの原田研太朗(徳島98期)選手に前を任せて、レースでは後方に置かれ、捲りも届かずに5着で敗退となりました。ラインを大切にする気持ち、ラインの絆で勝利が近づくことも分かります。しかし、最終日は捲りの得意な柴崎淳(三重91期)選手や和田真久留(神奈川99期)選手を相手に、逃げ切りで1着を獲ったように自力でも存分に戦える選手なのです。本当にグランプリに出たいという気持ちが強いのならばチャンスは自らの手で掴む!松浦選手にはその強い気持ちが必要だったように思えます。

そして、決勝戦での木暮安由(群馬92期)選手の動きは2018年の岸和田G1高松宮記念杯決勝戦で、関東同士の武田豊樹(茨城88期)選手と競り合った意味がなくなってしまったように感じてしまいました。
決勝戦に進出した関東の選手は木暮選手ただ1人で、しかも地元開催のG1です。どこで何をしていたのか?印象に残っていないレースだったことは非常に残念でなりません。負けても見せ場は作るという強い気持ちが欲しかったです。それこそが応援してくれたファンが望んでいるはずのことなのですから。本人が一番、後悔していることだと思いますが、この場をお借りして、ファンの気持ちを代弁させていただきました。

そして、大会前に私が注目選手として挙げていた小林泰正(群馬113期)選手。地元のパワーを味方につけて、初日は打鐘から先行して3着で二次予選に進んでくれました。だが、二次予選では4番手を太田竜馬(徳島109期)選手と取り合った結果、押圧により失格を喫しました。これは地元で気合い入り過ぎた結果でしょう。少し冷静な判断力も必要だということです。これも一つの経験として、強い選手へと成長して貰いたいものです。

今開催は台風19号の影響により2日目以降が1日順延したため、参加選手は調整も難しかったと思います。また、今回の台風によって、実に多くの方々が被害を受けました。心よりお見舞い申し上げますと共に、1日も早い復興を祈念致します。

【略歴】

山田 裕仁

山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身
1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー
競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード
“帝王”のニックネームで一時代を築いた
2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ
KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回
通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。
2018年末、三谷竜生(奈良101期)に抜かれるまでは年間獲得最高賞金額=2億4,434万8,500円の記録を持っていた
自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した
2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中
また、競走馬のオーナーとしても知られる

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