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2020/02/20

Yuji Yamada

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.65

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.65

新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない__。
目に見えない物が世界に広がり、しかも、それによって命を落とす可能性があるのだからタチが悪いですね……。この状況があまりにも長引くと、景気の悪化にも繋がるので、1日も早く収束することを願うばかりです。

人混みが好まれない時期ではありましたけれども、2月11日から豊橋競輪場で開催されたG1全日本選抜競輪は多くのお客様にご来場いただき、無事に閉幕いたしました。
豊橋競輪場でG1は初開催ということもあり、各関係者の方々の気合いが入っていたのか、今が旬のタレントさんによるトークショーなど場内イベントが数多く行われ、連日の大賑わい。大幅な売り上げ上昇を期待することができない昨今のビッグ開催では、利益を得るためには経費削減を考えると思いますが、場内イベントに力を入れてくれた関係者。そして、何よりも足をお運び下さったお客様には本当に感謝です。
選手も含め、関係者一同の声だと思いますが、改めて私からも「ありがとうございました」と、御礼を申し上げます。

数多くのお客様の前で、しかもG1初開催の地で、G1初優勝を達成した清水裕友(山口105期)選手はいつまでも記憶に残る優勝になったことでしょう。その清水選手の走りを振り返ってみたいと思います。
初日特選は残り2周の赤板で1度、押さえて前に出ると、先行した柴崎淳(三重91期)選手の5番手を取って、バックから捲りで1着。
2日目のスタールビー賞では松浦悠士(広島98期)選手の番手回りで、その松浦選手が吉田拓矢(茨城107期)選手の先行の3番手を取って、捲りに出るも吉田選手マークの平原康多(埼玉87期)選手にブロックされて捲り不発。清水選手は直線で追い込みながらも3着まで。
3日目の準決勝は打鐘で1度、前に出ると、カマシた吉田敏洋(愛知)選手の3番手を取って、バックから捲りで1着となり決勝進出を決めました。
最終日の決勝は2日目のスタールビー賞と同様に、松浦選手の番手回り。松浦選手がホームカマシで主導権を握ると、最終3コーナーから番手捲りをして優勝。

清水選手は思い切りの良さが魅力の一つでもある選手です。自力でレースをしている選手には少し御参考にしていただきたいことは、清水選手は勝負所で脚を使ってでも、必ず1度は動いて、好位を取っているということです。捲りに回るにしても、他の選手の動きをアテにしたり、先行選手同士のモガキ合いを待っている選手は後方になる確率が自然と高くなるので、捲り不発による大敗が多くなります。勝つための好位確保には1度、動いてレースを動かす勇気が必要ということです。

清水選手はこの優勝により年末のKEIRINグランプリ2020の出場権を獲得しましたし、グランプリに向けて、気楽にレースに臨めるので、ますます思い切りの良いレースが増えることでしょう。

今年初戦のG1を振り返ると、ナショナルチームのメンバーが戻ってくるまでは松浦選手、清水選手の両名に、競輪界を引っ張っていく強さと安定感がありました。決勝メンバーを見ると、7人参加したS級S班の選手のうち6人が決勝進出したこともあり、売り上げで苦戦している各地の記念競輪ですが、これからもS級S班の選手を中心に、盛り上げてくれることかと思います。

最後に苦言を呈しますけれども、S級S班とは2,000人以上いる競輪選手の中で9人だけの級班なのです。どんなに競走得点が落ちていても、全ての開催(オール予選の開催などは除く)で、特選から回ることができる権利もついています。そこには勝たなければいけないというプライドは必要です。落車やケガによって調子の悪い時も当然あるとは思いますが、最後まで勝負をあきらめないというレースをするということを肝に銘じて、レースに臨んで欲しいです。

【略歴】

山田 裕仁

山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身
1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー
競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード
“帝王”のニックネームで一時代を築いた
2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ
KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回
通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。
2018年末、三谷竜生(奈良101期)に抜かれるまでは年間獲得最高賞金額=2億4,434万8,500円の記録を持っていた
自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した
2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中
また、競走馬のオーナーとしても知られる

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