TOP > コラム > 競輪に夢CHU Vol.23(最終回)

コラム

一覧へ戻る

コラム

2020/04/06

Natsu Sakurai

競輪に夢CHU Vol.23(最終回)

競輪に夢CHU Vol.23(最終回)

皆様、こんにちは!桜井奈津です。

毎日、全国各地で大好きな競輪が開催され、走る選手を金網越しに応援すること。
好きな場所へ足を運に、大好きな人に会うこと。
そういう穏やかな日常が静かに少しずつ壊され、当たり前のこと、当たり前ではなくなってきている現在。
それぞれが改めて当たり前が失われることに向き合い、考える機会になっている時期だと思います。

私の人生において真っ先に思い浮かべられる“失われた当たり前”とは母の死です。
母子家庭で、一人っ子だったが故に随分と母に甘えて育ちました。母は20歳の時に私を産んでくれたから、私のためにたくさん我慢しなければならないこともあったのでしょう。ある日、精神を病んだ母は電車やバスや車に乗れなくなりました。毎週火曜日は病院の日、学校から帰った私と往復5〜6kmの道をお喋りしながら歩き、一緒に通院していました。

思い返すと、その頃によく見た一番怖い夢は母が死ぬ夢で、それを見るともう寝られなくなってしまうのです。その度に自分の部屋のベッドを抜け出しては母の布団に潜り込んだものでした。
何度も夢に見る程に幼い頃から失うことへの恐怖心があったのかも知れません……。

しかし、誰もがいつまでも同じところにはいられない。
それは私が24歳の時。
突然、母の余命を知らされ、その1週間は病院に泊まり込みました。
日に、日に、目の焦点が合わなくなり、会話もままならなくなっていく中で、12月24日のクリスマスイブを迎えました。祖母と3人で“気分だけでも明るく”と、ケーキを食べようとしたけれども、その時の母は大好きだったはずの生クリームをほんの少し舐めることさえできない状態でした。

そして、ついに次の日の夜中に容体が急変し、危篤状態となりました。まるで寝ているような母に根気強く呼び掛け続ける。涙も声も枯れてきた頃、母が1度だけ目を見開いて……けれども、それきりでした。

大きな当たり前を喪失した時、全ての当たり前は本当に奇跡で宝物だと、心に刻みました。そして、苦しい時期こそある意味では『大切な何か』に気付くための大きな財産だとも。

私はこれまでもコラムの中で伝えてきたように、競輪選手のみなさんが命を懸けて、魅せてくれていることはそれぞれの人生のヒントになると、思っています。また、選手の方からこんなお話し伺ったこともあります。
「落車してしまって、ケガで苦しんで、もう駄目だと思った時……たまたま隣のベッドに入院していた後輩のほんの一言で救われて、今がある」と。

いつもと違う景色だからこそ気付けることもある。居場所は一つだけじゃない。
見落とすことなく、研ぎ澄ましながら生きていたいものです。

コラム『競輪に夢CHU』は2018年1月にvol.1が更新されてから連載2年が経過しました。競輪に出逢い、ハマったばかりの私に__自由に『好き』を表現し、発信する場所を与えていただいたことに心から感謝しています。その文章は読み物としてはまだまだ未熟で、編集部の皆様には本当に多くのご迷惑をお掛けしたことでしょう。
それでも、他の人にはない自分らしい感性で伝えてきた自信だけはあり、お世辞であっても私の紡ぐ言葉を好きだと、言ってくれる方々がいたことは誇りです。

2年間、本当にありがとうございました。
連載は終わりますが、相も変わらず、これからも私は競輪に夢CHUです。

【略歴】

桜井奈津(さくらい・なつ)

1988年9月5日生

愛知県出身

青山学院大学経済学部中退

ミス東スポ2016グランプリ

KEIRINグランプリ2018 静岡アンバサダー

旅打ちが好き

2019年12月14日に全43場制覇

帰りの交通費がなくなるとsuicaをみどりの窓口で返却

デポジット500円を手に入れるという特技をよく使っている

ページの先頭へ

メニューを開く