TOP > コラム > “帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.69

コラム

一覧へ戻る

コラム

2020/05/28

Yuji Yamada

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.69

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.69

新型コロナウイルス感染症の拡大は人々の楽しみ、夢。そして、職までも奪っていきます。東京オリンピック・パラリンピックの開催は1年程度、延期されることになり、プロ野球やJリーグも開幕が延期。さらに大相撲、高校総体、夏の甲子園(全国高等学校野球選手権大会)まで中止が相次ぎました。甲子園は高校3年生の球児にしてみれば最後の思い出。そこを目指してきた努力の成果を披露する場所がなくなり、どれ程までコロナを憎んでいることでしょう。テレビで涙する球児の姿を見て、心痛める人も多かったことかと思います。
昨年の5月と言えば……新元号の令和を迎え、どんな時代がやって来るのか?と、多くの人間が心を弾ませていたはずですが、今年は自粛生活の毎日で、ストレスを溜め込んでしまっている人が多くなっています。色々な意味で、ギクシャクした世の中になっているのではないでしょうか?
このような状況下である今、気をつけたいことは他人を恨むのではなく、コロナに打ち勝つことを考えて欲しい、ということです。誰かが悪い訳ではなく、この先、コロナとどう向き合っていくかが最も大切なことだと思うのです。

競輪界においても全国各地の開催が中止になっていきました。その中でも競輪選手の誰もが欲しい、優勝者には『ダービー王』の称号が与えられる日本選手権競輪の開催中止は関係者や競輪ファンに、相当のショックを与えたものでした。開催しても、中止にしても、賛否両論が巻き起こるとは思いますが、参加する選手はもちろん、関係者も含めて『人の命を守ること』を最優先に考えられた結果が開催中止だと思えば、少しは納得がいくのではないでしょうか?

選手からは当然のこと、競輪ファンからも「開催している場と中止にしている場の違いが全く分からない」という声を、よく耳にします。感染防止策をシッカリ取れているのか?選手宿舎や控え室など同部屋という『密』にどう対処できるのか?全国の医療従事者が大変な時期、競輪場に待機するドクターは確保出来るのか?落車などに対応するため、緊急搬送先の確保も必要です。これらはほんの一部の開催条件ですが、全てをクリアしていかなければ開催は難しいということです。やはり、『命を守る』ということが一番にあると思います。政治もそうですが、説明不足は人々のストレスになっているので、JKAをはじめ、関係団体から詳しい説明をしていただきたいものですね。

感染拡大防止策の一つ、移動制限に対処する形に。6月からは『北日本・関東・南関東』と『中部・近畿』と『中国・四国・九州』の3ブロックに分かれる『地区別斡旋(あっせん)』になりました。A級戦はそれ程、苦にならないと思いますが、S級の選手たちにしてみれば地区プロで経験済みではありますけれども、普段はラインを組んでいる選手との戦いになります。正直、気持ち的に戦い難いところもあるでしょう。今、競輪界の最強ラインと言われている松浦悠士(広島98期)選手と清水裕友(山口105期)選手が別線での戦いになる可能性もあるので、大いに注目を集めるでしょう。

そして、7月からは記念競輪も含めて、7車立ての9レース制(一部開催を除く)で開催されることに。7車立てにすることで、落車の可能性を減らす意味合いもあると、聞いています。しかし、競輪のレース運びによる駆け引きで、点数下位の選手でも本命の選手に勝てるという、いわば穴党のファンを喜ばせるレースは減るのではないでしょうか。競輪よりケイリン感が強く、競輪を楽しんでいるファンには物足りないと、思われるのかも知れませんね。

5月25日に全国で緊急事態宣言が解除されましたが、我が家には未だにアベノマスクと呼ばれる布製マスクが届いていません。一連の対応の遅さは自粛のストレス以上に、ストレスを感じさせるものです。新型コロナウイルスの第二波、第三波もやってくるので、どう準備しておくのか?はとても大切だと思います。
競輪界は……また、全国で開催中止を頻発して、乗り切るつもりなのでしょうか?競輪も含めて、公営競技は戦後の復興を支え、これまでも社会福祉などに継続的に寄与してきたという一面があります。競輪界は他の公営競技と違い、中央団体の求心力が弱く、まとまりがないとも言われています。ですから、今こそ社会に対して、何ができるのか?今後の対応策も含めて、業界全体で早急に考える必要があります。

【略歴】

山田 裕仁

山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身
1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー
競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード
“帝王”のニックネームで一時代を築いた
2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ
KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回
通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。
2018年末、三谷竜生(奈良101期)に抜かれるまでは年間獲得最高賞金額=2億4,434万8,500円の記録を持っていた
自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した
2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中
また、競走馬のオーナーとしても知られる

ページの先頭へ

メニューを開く