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2017/12/02

Yuji Yamada

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.12

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.12

超抜エンジン!

異次元のハイスピードで、新田祐大(福島90期)選手が今年最後のG1小倉競輪祭制覇を飾りました。ダービー王だけじゃなく、これで競輪王と呼ばれる権利も獲得した訳です!
今の競輪界の勢力図は福島の両者、新田選手と渡邉一成(福島88期)選手が頭一つ抜けています。今回の競輪祭は渡邉選手がワールドカップでの負傷によって欠場ということになってしまい、戦前から新田選手が優勝に近いという予想に。元々、優勝候補でもあったので、さらに新田選手の支持率が高まったことは間違いありません。
今の新田選手の捲りを離れずに追走できて、さらに差せる選手は初日に差し切った中川誠一郎(熊本85期)選手、ラインを組む機会の多い同地区の渡邉選手、このようにナショナル級のスピードを持った選手しかいません。今の新田選手の敵は常に番手にいる選手のみ、前団で走っている選手は関係ないと思わせるくらいのハイスピード、まさに超抜エンジンです。

今回の決勝戦、新田選手の一番の敵になるのは、勝ち上がりの内容から観ている人にも調子の良さを感じさせていた深谷知広(愛知96期)選手のスピードだと思っていました。決勝レースではその深谷選手は新田選手よりも後方、しかも最後尾でのラスト周回。この時点で勝負は決していたように思います。競輪での“勝利の方程式”とでもいいましょうか、レースの組み立ての基本は強い選手より前に位置することです。レースではアクシデントが付き物ですから落車などがあれば話しは別です。それに先行争いにでもなってくれたら恵まれる展開になる可能性があるかも知れない。だけど、それはあくまでも他人任せの競走ですから、そのようにならなければノーチャンス。強い選手の仕掛けた上をいくのならば、その強い選手よりも明らかに力を持っていなければならない。結局、勝つためには強い選手よりも前でレースを運ぶことが基本中の基本で、このレース運びを出来るような作戦を練る=『レースの作戦を考える』になるはず。だけど、対戦相手も勝つためには相手に有利な走りをさせないようにしてくる、そのような駆け引きがあって面白いレースになります。相手を好きなように走らせて、それでも勝てるような選手が“横綱”と、呼ばれる選手になっていきます。はい、新田選手も“横綱”の域に達しそうですね。

勝負の世界は必ず勝者と敗者に分かれます。敗者になった人間はこれで負けたのならしょうがない、最善と全力を尽くした結果であることが大切です。今回の決勝戦で何人の選手がそう思えて終わったでしょうか?そう思った選手が多かったのならば、車券が獲れなかったとしても納得してくれるファンも多かったに違いありません。そういう気持ちと姿勢、実際の走りがファンの心を掴むものなのですから。

これから“打倒・新田”を掲げる選手、好勝負を演じる選手が増えていけば、競輪界はもっと面白くなりますよ!
今後の注目としては……まずは私の後輩たち、中部勢では深谷選手の豪快な走りの復活が求められるところでしょう。関東勢は度重なる落車で調子を落としている平原康多(埼玉87期)選手と武田豊樹(茨城88期)選手が気になります。そして、この地区は競輪祭にも参戦していた若手である吉田拓矢(茨城107期)選手や山岸佳太(茨城)選手らの成長が期待できる。近畿地区はその都度、代わる代わる自力の若手活躍者が出ている感じ。中・四国は原田研太朗(徳島98期)選手と太田竜馬(徳島109期)選手の成長と先行数増加、及び先行してからの安定感が求められます。九州地区は競輪祭では北津留翼(福岡90期)選手の奮闘が目に留まりましたが、やはり、あと数名の自力選手の成長が必要でしょう。
要約してみると、この競輪界には新人選手たちの活躍が必須ということなんですがね。

競輪祭も終わり、年末に平塚競輪場で開催されるグランプリメンバーも決定しました。ヤンググランプリ、ガールズグランプリに参加する選手も体調管理に気をつけて、年末はもちろんのこと、新しい年になっても競輪界を盛り上げて下さい!

【略歴】

山田 裕仁

山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身
1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー
競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード
“帝王”のニックネームで一時代を築いた
2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ
KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回
通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。
2002年に記録した年間最高賞金2億4,434万8,500円はいまだに破られていない
自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した
2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中
また、競走馬のオーナーとしても知られる

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