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2017/12/03

Sakura Kimihara

恋して競輪ハンター

恋して競輪ハンター

『恋して競輪ハンター』木三原さくら=2 Hunting

11月23日から26日までの4日間、小倉競輪場で第59回朝日新聞社杯競輪祭が行われました。私は現地、小倉競輪場からのチャリチャン放送に出演しました。現地で競輪祭を見るのは今年で4度目ですが、毎年ラストチャンスにかける選手やファンの思いがヒシヒシと伝わり、場内の盛り上がりに圧倒され、涙なしに見ることはできません。そんな年内最後のG1競輪祭。今年は決勝戦より前、準決勝戦で既に感極まってしまいました。
『魂』や『お兄ちゃん』の愛称で知られる村上義弘(京都73期)選手。昨年のグランプリ覇者として今年は1年、1番車を身にまとってきました。ただ、みなさんもご存知の通り、ケガでダービーとオールスターの2つのG1を欠場したこともあり賞金ランキングでも10位圏外。最後のチャンスに懸ける選手のひとりだったことに間違いはないと思います。
村上選手は準決勝戦、同県の稲垣裕之(京都86期)選手の番手を木暮安由(群馬92期)選手にさばかれて後退。追い上げ切れずに結果は6着。村上選手の今年のグランプリ出場の望みは断たれました。こんなことを書くと怒られてしまうかと思いますが、村上選手が木暮選手に競り負けた時、世代交代の時なのかなと思ったことを正直に告白します。競輪を始めて、まだ5年目ですが、それだけ村上選手は競輪を象徴する選手として私の中に印象付けられていたからです。

準決勝敗退の翌日、村上選手はラインの先頭での競争でした。22歳の吉田拓矢(茨城107期)選手を後方に見ながら村上選手が先行した時、前日に世代交代なんて思った自分が浅はかだったと痛感しました。こんなにもまだレースの中心にいる人に交代なんてされたら困る!もっと村上選手の走りを見たいと、そう強く願いました。
村上選手を4日間見ていて思ったことはとにかくこの人は“忙しい”ということ。番手を回れば後ろを見てブロックもするし、タテにも踏む。ラインの先頭を走れば未だに先行も辞さない。単騎の時だって必ず仕掛け、レースを動かす。村上選手は“休む”とか“諦める”ということを知らないのではないかと思うほど、バンクの中でその存在がかすむことはありませんでした。
以前、優勝インタビューを見た時も笑顔は少し。また、何か一つ背負ったような厳しく引き締まった表情されるところが印象に残りました。19歳でデビューされて今年で選手歴は23年。この23年間、村上選手は何を思い、何を考え、その背中にどれだけの責任や重圧を背負ってきたのでしょうか?そして、それなのにどうして今でもバンクであれだけ走り回れるのでしょうか。若い頃の村上選手のレースを同じ時代を生きて見ることができなかったことは少し残念です。過去を知り、その生き様を追いかけたくなるほど、村上選手の走りには見る人の心を揺さぶる、まさに『魂』が宿っていると感じます。

競輪を知って1年目に稲垣選手を好きになり、その頃は稲垣選手の番手から捲りを打つ村上選手をひどい人だと思っていました。でも、2年、3年と競輪を見続けていくうちに好みや見方も変わったことで、村上選手を好きになり、その走りに感動させられています。
ただ、明日、レースを見たら再び考え方が変わる可能性も。自分自身の気の多さに呆れつつも、そういう部分も競輪の楽しさなのかも知れません。これだから競輪はやめられませんっ!!

【略歴】

木三原さくら(きみはら・さくら)

1989年3月28日生 岐阜県出身

2013年夏に松戸競輪場で
ニコニコ生放送チャリチャンのアシスタントとして競輪デビュー
以降、松戸競輪や平塚競輪のF1、F2を中心に
競輪を自腹購入しながら学んでいく
番組内では「競輪狂」と、呼ばれることもあるほど競輪にドはまり
好きな選手のタイプは徹底先行
好きな買い方は初手から展開を考えて、1着固定のフォーメーション
“おいしいワイド”を探すことも楽しみにしている

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