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2018/01/05

Yuji Yamada

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.15

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.15

新年あけましておめでとうございます。
今年も私の気ままなつぶやきにお付き合いいただければ幸いです。
どうかよろしくお願い致します。

競輪界にはシーズンオフがないので、年末にグランプリという大決戦を終えたばかりの選手でも新年を迎えたら全ての選手と同じでゼロスタート。そうです、もうすでに2018年のグランプリ出場に向けての戦いは始まっています。2017年のグランプリで優勝した浅井康太選手(三重90期)でさえ、2018年のグランプリ出場権を決めるために1年を戦っていくのです。

12ヶ月後の年末にも、また、アッ!という間の1年でしたと私は言っていることでしょうが(苦笑)。S級選手にとってグランプリ出場の権利を獲得できるまでは長い1年になるわけです。

さて、年末のグランプリシリーズを振り返ってみたいと思います。
初日のガールズグランプリでは石井寛子選手(東京104期)が初優勝。7番車という外枠の不利も克服して、周回中も好位を確保。打鐘で1度脚を使って、先行する奥井迪選手(東京106期)の番手を奪取。最後にもう1度、脚を使っての見事な差しでビッグレースの優勝を掴みました。大舞台に向けてシッカリ練習、調整してきたという走り、実に素晴らしいレースでした。石井選手、本当におめでとうございます!!
逆に、人気を背負った児玉碧衣選手(福岡108期)は見せ場すら作れずに大敗。普段の開催で楽に勝ってしまっていることで、戦略に進歩が見受けられない部分があるようにも感じます。ですから、力が拮抗(きっこう)しているグランプリのようなレースでは自分の本来の力を発揮できずに敗れてしまっていますよね。児玉選手のような脚力的に抜けているような選手は男子の新田祐大選手(福島90期)のように海外へ出て、国際試合で外国選手との力の差を肌で感じ、肉体的にも精神的にも揉まれてくることで、もっと強くなれるのではないでしょうか。

2日目のヤンググランプリは鈴木竜二選手(茨城107期)が優勝を決めました。同県同期の吉田拓矢選手(茨城107期)の番手を回れたうえに、吉田選手が先行するという展開を活かしての優勝でしたね。競輪の醍醐味であるラインの絆を感じ取れた、とても良いレースだったように思えます。対する徳島コンビのラインは太田竜馬選手(徳島109期)が3番手を決めて捲りに回り、追走する小川真太郎選手(徳島107期)は番手を回るという難しさを味わったレースでした。
吉田選手や鈴木選手に比べれば、実績はまだまだなのに人気になっていたということからも太田選手は今後のさらなる成長が期待できる選手であります。しかし、私としては捲り届かずの2着を褒めるよりも、格上の鈴木選手と吉田選手を潰せなかったことを指摘したいですね。そう、まさに吉田選手がしたレースを太田選手が見せるべきだったんじゃないかなと。
ヤンググランプリは今をみて走る舞台じゃなく、先を見据えて走る舞台だと思っています。だから、ガールズグランプリよりも賞金が少ないんじゃないでしょうか。ということで、中四国の先行選手に足らない部分がこの大舞台で見えたような気がしました。

最終日のグランプリは数多くの競輪ファンが想像できた展開だったのではないでしょうか? あのグランプリシリーズはほとんどが前残り、平塚バンクの特徴として後方からの捲りが決まらない。そんな条件の中でも新田選手なら捲り切ってくれるのではないかという期待での人気。私もそんな強さを見たいとの期待で新田選手を本命に推しましたし、それを克服しての勝利が競輪界の年間獲得賞金額の記録更新の価値を高めるものでしたからね。
新田選手自身も悔しいレースだったでしょうが、今後の競輪界のことを考えると私自身も悔しかった。はい、他のプロスポーツ界と比較しても、競輪選手には夢があるということを証明するチャンスだったのです。私は競輪界の3億円プレーヤーを強く待ち望んでいますから。

最後に一つ、グランプリの選出方法に関して。
タイトルホルダーの出場権は現状通りで、賞金ランキングで出場できる選手は12月上旬に、上位18人程度のトライアルで決定するという方法ならば、さらに盛り上がる開催を作れるのではないでしょうか? 期限ギリギリの開催場は賞金額を左右する選手には追加を出しづらかったところも、追加斡旋を頼みやすくなります。また、グランプリメンバーのいなかった12月の記念競輪やF1シリーズが白熱するし、売り上げにも繋がると思います。

さぁ、2018年も競輪界に明るい話題が多くなることを祈願していますっ!!

【略歴】

山田 裕仁

山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身
1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー
競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード
“帝王”のニックネームで一時代を築いた
2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ
KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回
通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。
2002年に記録した年間最高賞金2億4,434万8,500円はいまだに破られていない
自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した
2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中
また、競走馬のオーナーとしても知られる

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