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2018/01/24

Junko Shitara

心に残るベストショット Vol.7

心に残るベストショット Vol.7

全日本選抜の数あるゴールシーンで次に思い出すのが1993年、第9回大会の青森です。前年には吉岡稔真さん(福岡65期・引退)が日本選手権を優勝して、中野浩一さんが引退。時代の変わり目を迎えていることは誰の目にも明らかでした。そして、このころ若手の旗頭の一角と騒がれた64期3人組、秋田の有坂直樹さん、岡山の三宅伸さん、そして神奈川の高木隆弘さんでした。
今は3選手ともタイトルホルダーとして名を残していますが、当時はまさに群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)、次々に新鋭が名を挙げてきては新聞の見出しも目まぐるしく変わっていったものです。
前橋、熊本、向日町と、酷暑のイメージが色濃い『真夏の祭典』だったのですが、さすがに青森は心地良い風が吹き抜けていました。市内では”ねぶた祭り”も行われて、活気に満ちあふれ、にぎやかな開催でした。
決勝にコマを進めた高木さんの前に立ちはだかったのは吉岡さん、この年のダービー覇者・海田和裕さん(三重65期・引退)で、高木さんは新聞によると伏兵でしたね。
レースは仕掛けが遅れた吉岡さんに対して、思い切って先行策に出た海田さんの番手から追い込みにかかった山口幸二さん(岐阜62期・引退)、そこへ突っ込んでゴール勝負したのが3番手にいた高木さんとの熾烈(しれつ)な争い。長い写真判定……バンク内側にある敢闘門のスロープの陰でしゃがみ込んで待つ山口さんと高木さん。そして、その二人を守るかのように仲間の選手が取り囲んで決定を待っていました。そして、高木さんにとっては歓喜の瞬間が訪れます。
「決定!1着7番!高木隆弘!」のアナウンスと共に、ピョコンと飛び上がって「やったーっ!!」と、大声で喜びを爆発させた高木さんの姿がとても印象的でありました。差は8分の1車輪、私には体格の差で高木さんが当たり勝ったようにも見えました。

実はこの年の3月、高木さんは日本選手権の最中に小指を負傷したことで欠場を余儀なくされていたのです。
「力が入らなくて思ったように競走ができない」と、高木さんは5月頃に嘆いていました。同じ指でも親指なら影響は少ないけれども、小指と薬指はハンドルを握る力の中心だということを、私はこの時に高木さんから教えていただいたのであります。

そして、このような負傷もあって、背水の陣で挑んだ青森の全日本選抜で大魚をつかんだという訳です。それは飛び上がりもしますよね。
“ねぶた祭”に参加している跳人(はねと)に負けないくらい飛び上がった高木さんの”トカちゃんスマイル”は今でも忘れられません。

【略歴】

設楽淳子(したらじゅん子)イベント・映像プロデューサー

東京都出身

フリーランスのアナウンサーとして競輪に関わり始めて35年
世界選手権の取材も含めて、
競輪界のあらゆるシーンを見続けて来た
自称「競輪界のお局様」
好きなタイプは「一気の捲り」
でも、職人技の「追い込み」にもしびれる浮気者である
要は競輪とケイリンをキーワードにアンテナ全開!

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