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2018/02/02

Yuji Yamada

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.17

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.17

最近、出産に関するニュースが続いています。競輪とは関係ないのかも知れませんが、少し触れてみたいと思います。

まずは”電車の車内で出産”というニュースがありました。これはある意味、本当に驚きのニュースで、一体どうして電車の車内なの?どうやって出産できたの?母子共に身体は大丈夫だったの?都内の電車は混雑していますが、お客さんはどうしていたの?などなど、私は実に数多くの疑問符が頭の中を駆け巡りながらニュースを観ていたものです。
この一つの生命が誕生したというおめでたい出来事に、ネット上で一部の人間からは「きちんと体調管理できていないの」とか「マジ迷惑」というような批判の書き込みがあったらしいです。妊婦さんに風邪を引かないようにという体調管理を求めるのならば少しは理解できますが、出産時期に関する管理が簡単にできれば誰も苦労しないですよ。
何事も賛否両論あることは当然だと思いますが、この件に関して苦言を呈する人の気持ちを私は理解できませんでした。生命の誕生とは本当に喜べることであって、それに批判の声を並べるのは(しかも匿名性に守られて)人としてどうなのかを考えるべきだと思います。

次に”代理母出産”という話題も取り上げられていました。この件に関しては日本人的なところで「母親はお腹を痛めて自分の子供を産む」といった風習が根付いている感があります。だから、様々な意見が出てくることでしょう。ただ、一つ言えることは世間からの批判に晒されることを覚悟してでも我が子が欲しかったということです。現在、世の中でどれくらいの女性が不妊治療を受けているのか?私は詳しい人数などは分からないのですけれども、普通に妊娠できた人間にこの苦労は理解して貰えませんし、理解するのは難しいこと。いや、本当のところ理解できないものかも知れません。分かって貰えないということは、当事者にとってはとても辛いことです。幸福や不幸の比べっこをするという次元の話しではなく、本当の幸せとは何なのか?改めて考えさせられたものであります。

代理母出産のニュースで、それまでに2度の流産を経験したということは私にも衝撃でした。それは現役時代、私がレース参加中に妻が流産したことがあるからです。開催最終日、レース終了後に選手管理室へ呼ばれて「奥様は妊娠されていましたか?実はこの開催中に流産されてしまったようです。優勝候補で参加していただいているので帰って貰う訳にはいかなかったので最終日に伝えました」と、こう言われました……。
これって、当然のことなのだろうか?競輪選手やっているんだから当たり前のように売り上げに貢献してから帰れ?当時の私は怒り、悔しさ、悲しさなどの感情が入り混じって、強く拳を握り締めたことを今でも覚えています。そして、私は自分のことよりも妻の今後の精神的ケアをどうするべきか?悩めるところであったのに、報告後は何もなかったように済ませている施行者などの関係者は恐ろしかったです。
これに関しても色々な意見があるでしょう、前述したように何事にも賛否両論があっていい!だけど”人間の命”を何よりも重たいものだと考えることが一番。やはり、生命の誕生はどんな事情があるにしても素直に喜べる自分でありたいものですね。

話しはガラリと、変わりまして。
早くも今年のグランプリ出場を決定させる第一弾としてG1全日本選抜が四日市競輪場で開催されます。前回も触れましたが、今開催の大きな流れは新田祐大(福島90期)が率いる北日本勢と、今年に入り絶好調の平原康多(埼玉87期)率いる関東勢が目玉となって大会を盛り上げるのではないでしょうか。そこに地元地区の深谷知広(愛知96期)欠場でかなりの戦力ダウンになった中部勢が、地元2割増しパワーとチャンピオンジャージを着ている意地で浅井康太(三重90期)が立ち向かっていくという楽しみなシリーズです。今年1年の流れを占う意味でも選手たちは気合が入っているでしょうし、ファンのみなさんにも個々の走りをシッカリとチェックしていただきたいと思います。

【略歴】

山田 裕仁

山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身
1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー
競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード
“帝王”のニックネームで一時代を築いた
2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ
KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回
通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。
2002年に記録した年間最高賞金2億4,434万8,500円はいまだに破られていない
自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した
2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中
また、競走馬のオーナーとしても知られる

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