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競輪

2018/08/03

Joe Shimajiri

競輪ドキュメント第5回/堀内俊介(神奈川107期)

競輪ドキュメント第5回/堀内俊介(神奈川107期)

自転車愛に生きるレーサー

小学校までは横浜のハマっ子、中学校からは鎌倉の湘南ボーイ。道理で堀内俊介は爽やかなオーラに包まれている訳だ。

幼少期から車が大好きで、憧れはレーサー・佐藤琢磨だった。
「佐藤琢磨さんがレーサーになるためのステップアップで、レーシングカートをやる環境がなかった。それで自転車から始めているんです。じゃあ、自分も自転車を始めてみよう」
そこで自転車部のある高校を探して、横浜高へ進学した。
中学時代はサッカー部に在籍していたけれども「引っ越したばかりで、近所で友人になってくれた子に誘われたんで」というのが大きな理由。
「サッカーをやるのは好きだったんですけど、小学校から本格的にサッカーをしていた人間とはレベルの差が明らかに違った」と、未練なく、自転車競技の扉を開いたのだ。

自転車競技で活躍した高校・大学

最初は部活として純粋に楽しんでいた。だが、自転車競技は堀内に合っていたようで、メキメキと長距離種目で頭角を現した。そして、高校最後の国体・ロードレースで優勝。
「自分はスター選手でもなんでもなかったんですけど、それまでの色々な大会での走りも見てもらっていたみたいで。あとは同じ神奈川で合宿なんかも一緒だった巴さん(直也・神奈川101期)や奥原さん(亨・神奈川103期)が紹介してくれたこともあって、中央大へいくことになりました」
高校から始めた自転車競技で様々な大会、海外遠征などを経験する。早生まれということもあって、中央大在学時にはU-23の国際大会(ロードレース)にも出場した。
「本当に楽しかった。だけど、大学卒業後、ロードレースで食べていくには厳しいかなと。大学時代、巴さんの口利きもあって、競輪場でアルバイト(救護)もしていました。正直、その時はあまり競輪に興味は湧かなかった。ロードと違って、ギャンブルという側面も当時は受け入れにくかったんで」
そして、堀内はリクルートスーツを着て、一般学生と同様に就職活動を始めた。
「就職氷河期でなかなか内定が出なかった。そんな時にチラッと、競輪選手という職業も選択肢にはなりましたけど」
しかし、無事に大手メーカーから内定が出て、その選択肢は1度、消えたのである。

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