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競輪

2017/07/12

P-Navi編集部

競輪ドキュメント第2回/近藤隆司(千葉90期)前編

競輪ドキュメント第2回/近藤隆司(千葉90期)前編

武器も道具も持っていない、呪文も唱えられない

競輪学校時代の思い出について尋ねると、開口一番で「最悪でしたねぇ」という答えが苦笑いと共に返ってきた。
「教官からは番号だけで呼ばれて、やることは自転車しかないし。合格した時の順位はソコソコ良かったんですけど、いざ入学したら周りは凄いヤツばかりだった。北津留(翼・福岡90期)なんかスイスの学校(WCC=ワールド・サイクリング・センター)からの特別入学とかで。もうレベルが違い過ぎて、あまりやる気にならなかった。55番!!って、怒られた回数だけはトップクラスでしたよ。結局、僕は本番(試験)にチョット強かっただけで、実力はなかったんですよね」
また、在校時は右膝のケガもあって、2ヶ月くらいトレーニングしない時期もあった。それでも、競輪学校を無事に卒業。ただ、卒業後もケガを理由にあまり練習しなかったという。

「これからデビューなのに、そんなんじゃすぐにクビになるぞ」
と、忠告してくれたのは米田勝洋(千葉62期)だった。さすがに近藤もベテランの先輩の一言で、重かった腰を上げる。
「で、練習を始めたら、膝は痛くなくなりました。あれ以来、再発もしていない(笑)」

2005年7月1日、立川競輪場でのデビューは今でもよく覚えているという。身体が仕上がっているわけでもないのに、なんとかなるんじゃないかな?と、根拠のない自信だけで臨んだ。
「武器も道具も持っていない、呪文も唱えられないのに戦いに行っちゃったみたいな」
丸腰かつ戦術も全く分からないのにデビュー戦を迎えてしまったと、近藤はゲーム好きらしくデビュー戦をRPGに例えて話す。
スタートしてからも誰も誘導員を追わない。すると「新人、お前が行けよっ!」と、次々に先輩たちから怒鳴られる。「俺かよ!?って、ノソノソ出て行きましたよ」
結果は2着であったが、スタート時に先頭誘導員から離され過ぎて、全員が過度牽制による重注(重大走行注意)の違反となる。レース後に先輩から「全員に謝りに行けよ」と、言われるが、その意味さえ全く分からなかった。
「あまりにも無知、あんな状態でよくデビューしたなと。中団がフタをする、抑え先行、捲り追い込み、外並走捲りとか言葉を知っていても、やり方が全く分からなかった。そういうのを競輪学校で教えて欲しかったですよ(笑)。」
こんな具合だったので、デビューから1年半くらいは「競輪の戦術も知らないし、力の差があり過ぎて、上には絶対に行けない」と、近藤は決め付けていた。同期でS級に昇進する選手が出てきても別世界のような感覚だった___。

(次回、後編はこちらから)

               Text & Photo/Perfecta Navi・Joe Shimajiri

近藤隆司(こんどう・りゅうじ)

1984年1月25日生 千葉県出身 千葉90期
175cm 77Kg 血液型A 脚質:逃
千葉北高出身

幼少時〜高校時代は水泳
中学までは自由形、高校からは平泳ぎ
高校卒業後、競輪選手を目指す
自転車競技は未経験だったが、
水泳と高校時代の自転車通学
(高校時代は“ママチャリ”で約25km/日)で培った体力で、
2回目の受験で競輪学校に合格
2005年7月、立川競輪場でデビュー

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