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競輪

2017/07/23

Junko Shitara

心に残るベストショット Vol.2

心に残るベストショット Vol.2

第36回オールスター競輪 1993年(平成5年)

私は現役選手の中で、レジェンドという言葉が最も似つかわしいのは栃木の神山雄一郎選手だと思います。
競輪に関わって35年余、この膨大な資料の山で最初に彼の名前が出てくるのは1984年(昭和59年)のチャレンジサイクルロードレース。伊豆・修善寺のサイクルスポーツセンターで毎年春に行われている市民マラソンのような大会で、子供から大人、登録選手までカテゴリー分けされた中の中学生の部の優勝者に『栃木県小山市・神山雄一郎』と、ありました。
ひょろひょろで人懐っこい笑顔の少年は誰に聞いても「自転車好き、自転車馬鹿(失礼!)」。大学から誘いがあっても断って、競輪界入りしてきました。この頃はアマチュアしかオリンピックには出場できませんでした。神山さんは4年という月日を競輪選手としては回り道と判断して、高校卒業と同時に競輪学校に入学する道を選びました。もちろん、日本競輪学校でも1位、卒業記念レースでも完全優勝。爽やかな笑顔とスマートなレースぶりで「シンデレラボーイ」と呼ばれました。

1988年(昭和63年)5月デビュー。この頃、最初の4ヶ月は新人リーグという同期だけでの戦いがありました。ここでも1着のオンパレード。最高ランクA級1班に格付けされて、先輩に交じって競走を始めても各地で本命視されて話題を振りまきました。でも、どういう訳か決勝戦になると負ける。だから、特進はデビュー11か月目でした。力だけでは勝てない、それがライン戦の怖さです。競走がキレイ過ぎるというのが私の印象でしたが、「いつか必ず、トップに昇るよ」と、みんなが思ったダイヤモンドの原石のような選手でした。
そして、S級3場所目の別府で初の記念優勝。デビュー丸1年ですから、S級のレースのほうが向いていたのでしょうか?私はS級の方が後ろに付ける追い込み選手が強くしっかりしているからであって、神山さんの走りには変わりはなかったと思います。
ところが、全ての若手を凌駕した吉岡稔真さん(引退)の出現は神山さんに遅れること2年(1990年=平成2年)。1992年(平成4年)には初タイトルまで手にしました。競輪界全体が『ポスト中野浩一は吉岡稔真』、彼を苦しめるのは誰だと吉岡さん中心に回るようになりました。こうなると「どうした神山?」とか「お前も頑張れよ」と励まされつつ、先輩ながら追う立場に立たされました。最も苦しく歯がゆいのは本人だったでしょう。
風向きがかわったのは1993年(平成5年)7月の函館ふるさとダービー。吉岡さんを相手に、逃げ切り優勝の神山さん。『花開いた大器!』、『うっぷんを晴らした』などと、新聞や雑誌の見出しは讃えました。ここから名勝負を繰り広げた伝説の『神山VS吉岡両横綱時代』が始まったのです。

迎えた地元・宇都宮オールスター、神山雄一郎いよいよ初タイトルかという前評判に大きくプレッシャーを受けていたのでしょうか。開催初日の開会式。敢闘宣言で「我々、参加選手一同は……あれ?…………あれ!?」と、コメントを忘れて6回も仕切り直し。場内から「頑張れ~!」と思わぬ神山コールを貰いながらなんとか終了。地元ファンにも愛されている選手だなぁと、実感しました。
着実に駒を進めて得た決勝戦に吉岡さんの姿はなく、初タイトルへのお膳立ては整いました。渦巻く神山コールに、当時まだ珍しかった横断幕。4人が勝ち残った南関東勢が先手、中団に神山さん、後方からこの年のダービー王・三重の海田和裕さん(引退)の捲りが炸裂!それでも、勝手知ったるバンクのビクトリーロードを選んだ神山さんがベストタイミングで1着ゴール!両手を高々と上げて、かっこいいウィニングランで宇都宮バンクを駆け抜けました。本人はもちろん、場内も歓喜の渦に包まれました。けれども、表彰式の優勝インタビューに現れた神山さんの顔は涙でぐしゃぐしゃ。私は向けたマイクで「神山さん、ここに来てくれるのをずっと待っていました!」と、ファンのみなさんの気持ちを代弁しました。

長いインタビュアー経験の中で「損したな」と、思ったのはこの時くらいです。なぜって金網越しの大勢のファン、表彰式に集まっている関係者、みーんな感動と感激で貰い泣きしていたんです。でも、私は泣く訳にはいかないから一生懸命、お腹に力を入れて我慢しました。そして、そろそろインタビューを締めようかと思った時、神山さんが自分から「もう少し……」と、話し始めました。「いつも頑張れよ、お前は強いよ、いつか勝つよと、励まし続けてくれた同期や仲間のみんなに感謝したい」と。私には計り知れない仲間の絆が、マイペースであまり表情を変えない神山さんをも涙させたのだと思います。

今は追い込み選手として、すっかりベテランの風格が漂う神山さんの夏の青空のような爽やかなお話しでした。

【略歴】

設楽淳子(したらじゅん子)イベント・映像プロデューサー

東京都出身

フリーランスのアナウンサーとして競輪に関わり始めて35年
世界選手権の取材も含めて、
競輪界のあらゆるシーンを見続けて来た
自称「競輪界のお局様」
好きなタイプは「一気の捲り」
でも、職人技の「追い込み」にもしびれる浮気者である
要は競輪とケイリンをキーワードにアンテナ全開!

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