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競輪

2017/08/04

Yuji Yamada

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.5

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.5

ミッドナイト競輪

今期から私の地元・大垣でもミッドナイト競輪が始まりました。 現役時代にナイター開催には参加したことはあったのですが、ミッドナイト開催は解説者という違う立場で初参加させていただきました。現役選手からは色々な感想はお聞きしていたのですが、前述しましたように初めての大垣での開催、初めてのミッドナイト解説ということで少し気持ちも高ぶって仕事に出かけました。
現役の頃のナイター参加時を思い出すと。レースが終わり、夜21時過ぎにお風呂に入り、それから夕食を済ます。食後はテレビを視聴したり、選手同士で会話をしたりで、寝るのは日付が変わって25時(=1時)を過ぎていたように思います。 個人的に朝食は食べたいタイプなので、夜遅く眠りに就いても、朝は早く起きてシッカリ朝食を摂っていました。ただ、再び昼前まではゴロ寝。正午になって昼食、15時には間食のおやつタイム。そして、指定練習からレースへと流れる毎日。ナイター開催に行くと生活のリズムが崩れ、寝てばかりいるようでダラダラした生活を送っていたような記憶があります。
ミッドナイトとなると、ナイターよりもさらに行動時間帯が遅くなる訳ですから、日本にいながら時差ボケになるのではないか?と、そんな想像をしていました。実際、ミッドナイト開催が始まると、解説を終えて自宅に戻るのが毎日24時半(0時半)過ぎ。それからテレビを視て、軽く飲酒。結局、寝るのは夜中26時(=2時)前後。私自身は解説者として話しているだけなので、気持ちが現役時のように興奮することもなく、眠りにはすぐ就けます。でも、選手はレースでアドレナリンが出ているので興奮状態。多分、なかなか眠りに就くことはできないのではないでしょうか。

競輪選手は黙っていても斡旋(仕事)は入るし、上司の顔色を伺いながら仕事をする必要もありません。落車というアクシデント、怪我さえなければ最高の仕事だと、ズーッと、思っていました。 ただ、練習が辛いのは当然のことながら、普段の生活サイクルと異なるレースがあることで寝不足になるという辛さも加わりました。
でも、お客様からすると、ナイターやミッドナイト開催は……ネットを使うことさえ苦にならなければ、夜に自宅でお酒なんかを飲みながらでも気軽に車券を購入できます。普通開催で数千万円の売り上げしかないということを考えれば、特にミッドナイト開催は連日のように億を超える売り上げになるので、関係者にとっては本当にありがたいことです。このような喜ばしいこともあれば、逆に選手をはじめとして、食堂で働く従業員、役所の職員の方々の深夜労働に支えられているのです。そう、関係者の方々は大変な思いもしているということも忘れてはいけないと思います。ミッドナイト競輪は数多くの方々のご協力と苦労があって、成功しているということを改めて考える機会にもなりました。

次回の特別競輪はG1オールスター競輪(8月11日〜15日)で、いわき平で開催されます。選手側からすると、ファン投票によって選ばれて出場する大会です。“ファンあっての競輪”とはよく耳にする言葉ですが、ファンのみなさんに『投票して良かった!』と、思っていただけるようなレースを見せてくれることを選手個々に期待しています!

【略歴】

山田 裕仁

山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身
1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー
競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード
“帝王”のニックネームで一時代を築いた
2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ
KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回
通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。
2002年に記録した年間最高賞金2億4,434万8,500円はいまだに破られていない
自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した
2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中
また、競走馬のオーナーとしても知られる

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