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競輪

2017/05/31

Kimi Kitamura

ヤマコウの次男が競輪学校入学!

ヤマコウの次男が競輪学校入学!

競輪界には多い二世選手

5月10日に静岡県伊豆市で行われた日本競輪学校の入学式第113回生の名簿に「岐阜県・山口拳也」の名前があった。
山口幸二(62期/現・競輪解説者)の次男が113回生として競輪学校に入学するのだ。
山口幸二と言えば「ヤマコウ」の愛称で多くのファンに愛され、選手会の岐阜支部長という激務をこなしながらKEIRINグランプリを制した。抜群の追走技術と鋭い差し脚を武器に長年S級の上位で活躍した名選手である。

世界選手権スプリント10連覇の「V10(ブイテン)」こと中野浩一も両親を競輪選手に持つサラブレッド選手であるし、山口幸二自身も父(山口啓)の背中を追いかけて選手を志したように競輪界に“二世選手”は珍しい話ではない。
しかし、あの山口幸二の息子が選手になるのであれば誰もが将来を楽しみにしたくもなるだろう。

“ロサンゼルスの超特急”と呼ばれた坂本勉(54期/引退)の息子、坂本貴史(94期)のようにジュニア時代から自転車部に所属しアジア自転車競技選手権大会でメダルを獲得するなど輝かしい実績を引っ提げて競輪学校に入学するエリートコースとは真逆で、拳矢が競輪への挑戦を決めたのは東京で大学生をしていた昨年7月。
「なんとなく、ずっとなろうかなって気持ちはあった」という競輪の世界に、すでに挑戦を始めていた2歳上の兄(聖矢)のひたむきな姿を見て、その気持ちは「本気でなりたい」へ変わった。

“拳矢の父親”と、呼ばれるようになったら最高

長男に続いて、次男の競輪挑戦を聞き受けた父(幸二)は自身も二世選手として、そして現役時代にも偉大な選手を父に持つ二世選手の苦悩も目の当たりにしてきたはずだ。

山口幸二「もっと本気でなりたいって人が沢山いる中で、不純な志望動機でしょ。でも、自分もそうだったから。高校卒業してどうしようかな、親父と同じ競輪選手になろうかなってくらいの気持ちだった。だから2人に相談されたときも反対はしなかったけど、“本気なのか?”とだけは確認した」

実弟の山口富生(68期)にも「山口幸二の弟と呼ばれるようではダメ。俺のことを山口富生の兄貴と呼ばせるようにしろ」と、厳しく接して実際に富生がG1を獲り、その言葉に応えた。

「最初は俺の息子と言うことで注目を浴びるし、当面は苦しい思いをするだろうけど、乗り越えて欲しい。山口拳矢という一人の選手としてファンに見てもらえるようになって欲しいし“拳矢の父親”と、呼ばれるようになったら最高やろな」
思わず父親の表情を見せた。

父(幸二)が引退後の進路決定だったため、練習は現役の実弟(山口富生)に任せたが、当初叔父として2人が選手を目指す事に全力で反対した。
富生「ずっと選手を目指して自転車競技をやっていたのであれば“おう、頑張れよ”って受け入れたけど、特に次男の方はゆるいサッカー部に入っていたくらいでちゃんとした運動もやって来ていなかったからね」

拳矢が選手を目指し始めた時の笑い話しを山口幸二・富生の兄弟が語ってくれた。

幸二「あれはひどかったよなぁ?」
富生「そうそう、 仲の良い記者にもした笑い話しなんだけど、今まで兄貴も自分も後輩たちに厳しくして来たのに、身内が一番だらしがなかった(苦笑)。初練習のときに金髪ロン毛にアゴヒゲで来たからそんな身なりで練習に来るなと叱ったら、翌日『美容院が休みだったから』とヒゲしか剃って来なかった。他にもプロは長パンツ、アマチュアは短いレーサーパンツが基本なのにちゃっかり長パンツを履いてきて『おめぇは何様じゃ!』って、怒鳴ったこともあった。どんな育て方したんやって兄貴に対して思ったよ」

周りはそんなに甘い世界じゃないと脅せば、厳しい練習で1週間も経たずに根を上げるかと睨んでいたが、それでも「自分で決めたからにはやってやる」という強い気持ちがあった。

サッカー部だった高校時代に50メートル5秒9を出したダッシュ力に自信はあったが、競技用の自転車に乗ることすら初めてで「練習に全然付いていけなかった」
自転車の厳しさとプロ達の背中がまだ遠かったことを痛感させられながら、1日約9時間ひたすら自転車に乗り込みんでタイムを縮めた。

山口富生も父と兄を追って競輪選手を志した。甥っ子の二人兄弟は自分たちに重なる部分があるという。
「聖矢(長男)と拳矢(次男)はまさに兄貴と俺のよう。長男の方は真面目で器用。今回は落ちてしまったけど、ペダリングも綺麗だし長い選手人生を考えるとこちらの方が伸びしろがあるかもしれない。次男の拳矢はダッシュとパワーと“運”を持っている。まだ荒削りだけど、どんな選手なるかな」

ヤマコウの次男が競輪学校入学!

明るい性格と軽快なトークも父親譲り

秋の試験直前に選手を目指し始めたため、周りは間に合わないと思っていた試験であったが、受験者数約300人のうち合格者約80人に滑り込んだ“持っている男”なのだ。

金髪アゴヒゲ時代を経て、入学式に向けて綺麗に刈った坊主姿は父(幸二)の競輪学校入学の写真と瓜二つ。

「“もう来るな”って、叱られた次の日でも拳矢は何事もなかったかのように『おはようございます』って、声をかけてくるんですよ。自分はいつまでも引きずって落ち込んでいたけど」
と、兄弟子にあたる竹内雄作は“最初から大物ぶりが凄かった”と笑って話す。明るい性格と軽快なトークも父親譲りだ。

「練習をすればするほど、身近にいた父や叔父、山田裕仁さん(現・競輪評論家)たちの凄さを知りました」
競輪に深く入れ込むことでさらに父たちの偉大さを知る。
来春3月の卒業式までの10か月間は肉体的、精神的にも20年余りの人生の中で最も苦しい期間になるだろう。ただ、自転車経験1年未満の彼が地元を離れ、ただひたすら競輪に向き合うこの時間はかけがえのないものになるはずだ。

競輪選手・山口拳矢の誕生を楽しみに待ちたい。

Text & Photo/Kimi Kitamura

山口拳矢(やまぐち・けんや)

山口拳矢(やまぐち・けんや)

1996年1月26日生 岐阜県出身
大垣日大-日本大学
高校時代はサッカー部に所属し、大学在学中に競輪学校を受験
グランプリ覇者の山口幸二(62期引退)を父に持つ三兄弟の次男

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