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競輪

2020/05/01

P-Navi編集部

植原琢也(埼玉113期)選手インタビュー

植原琢也(埼玉113期)選手インタビュー

植原琢也(埼玉113期)選手が2020年5月1日より新たにスポンサード選手に加わりました!
新進気鋭のスピードレースだけでなく、知的なキャラクターやSNSでの唯一無二の世界観でも注目を集めています。
ご声援の程、どうか宜しくお願い致します!
(*3月にインタビュー)

―2018年7月にデビューして、昨年6月にS級へ特進。今年はビッグレース初出場も果たしていますが、ここまでの自己評価は?
「デビューしてから良くも悪くも、色々なことが少しずつ分かってきたのかなという感じですね。昨年末のグランプリシリーズ開催までは何も分かっていなかったし、できていませんでした。競走点数もソコソコあって、勝手に事が進んでいたという感じでしたね。あの開催は3日間の密度が高くて、自分の中のキャパシティーが上がりました。でも、器が大きくなった分、決勝は車体故障で走り切れなかったので、見たもの、感じたものが経験として終えられず、落としどころがなくなってしまって……。それを年明けからも引きずっていて、最近は内容がないレースが多いなという感じです」

―成績だけ見ると順調にも思えますが。
「若手や新人は(上のクラスに)ポンと、上がりやすいと思いますが、他の人を見ていて感じることはポンと、上がりやすい分、落ちやすい。競輪界は選手寿命が長くて、経験や知識といった培ってきたものが武器になる世界だと思います。そこに能力も当てはめていけるのが一流選手であって、長い間、選手をやっていける選手だとも思っています。自分の場合は巧くいっているようにも見えるし、巧くいってないようにも見えるんですけど、実力相応のところで今は止まっているのかなというのはありますね」

―少し時間軸を戻しますが、中学まで陸上競技をしていて、高校から自転車競技を始められています。そもそも自転車を始めた契機は何だったのですか?
「中学校の時は跳躍とハードルをやっていたんですけど、自転車競技は……なぜでしょうね(笑)?中学から高校へいく時は陸上の成績があったので、それで受験して、いきたい学校の陸上部に入ろうと思っていたのですが、気付いたら別の学校のチャリ部に入っていました。自転車は大学でも続けて、そこでも1回、競技を辞めているのですが、なぜですかね(笑)? 自転車に凄い興味があったとか、知り合いが競輪選手だったとか、そういうのでもないですし……なぜ始めたのか?未だに覚えていなくて、うん、理由は特になかったんじゃないですかね(笑)」

―でも、その時の決断が今に繋がっている訳ですよね。競輪学校(現・日本競輪選手養成所)に入ってからは『理想の選手像』や『目標』はどのように設定していましたか?
「学校に入った時、そういうことを書かなくてはいけなかったのですが、まだ競輪選手を知らなかったんですよ。名前は分かりますが、顔やレースを見たことがなくて。競輪をスタートからゴールまで、一本のレースとして見たのも競輪学校に入ってからが初めて。その時はただ、自転車を漕いでいる賭け事というイメージしかありませんでした。でも、競技をやっていたので、それの延長線上ではないにしても自転車という共通項で結びつけることができたので、そこまでの違和感はなかったですね。それと自分は競輪学校も勝手に受けたタイプなんです。みんなは選手会にいって、弟子入りしてから受ける感じなんですけど。自分は本部にいって、願書を貰って、師匠もつけずに受けました。でも、何かが違かったみたいで、合格発表は北日本から順番に出されるんですけど、埼玉は東京の前に出るはずなのに自分の名前がなくて……『落ちたっ!』と、思っていたら、自分だけ東京の下に名前があったんですよね(笑)。『いたわーっ!』って(笑)」

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