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競輪

2017/09/30

Kimi Kitamura

日本中距離界エースの挑戦!橋本英也(日本競輪学校113回生)

日本中距離界エースの挑戦!橋本英也(日本競輪学校113回生)

日本競輪学校にて、この9月11日〜12日に実施された第113回生徒の第2回記録会で橋本英也生徒(岐阜23歳)が3,000mTT(タイムトライアル)で30年ぶりに学校記録を更新した。
長らく破られることのなかった記録は1987年に神山雄一郎(栃木61期)が打ち立てたもの。その3分35秒30を2秒近く縮める3分33秒32の好タイムをマークした。
橋本英也といえば、2016年のトラック競技世界選手権ポイントレースで同競技日本最高位となる5位、及びアジア選手権で優勝を飾った日本中長距離界のエースだ。

自転車競技の名門校である岐阜県の岐南工業高校から鹿屋体育大学に進学して、母校をインカレ初優勝に導く活躍を見せる。また、大学在学中からナショナルチームに抜擢されて、世界中を転戦。このようなキャリアを経て、橋本はメキメキと、着実に力をつけた。
そして、2016年リオ五輪のトラック中距離種目であるオムニアムへの出場をかけて窪木一茂選手と激しくその座を争った。
オムニアムとは陸上競技でいう十種競技のように2日間で合計6つの種目を行い(*1)、各種目の順位を得点に換算して、合計得点で競う混成競技のこと。各種目でコンスタントに上位に入ることが優勝の条件となる。
全体的に安定感のある窪木と、レース系種目を得意とする橋本。直前まで代表選考委員たちを悩ませた代表争いは、最終的に安定性を買われた窪木に軍配が上がった。
「五輪のために色々なものを犠牲にして競技に取り組んできたので、叶うこと(リオ五輪出場)ができずに自分の中にポッカリと、大きな穴が空いてしまったような感じになりました」
エリート街道を歩んできた橋本にとっては初めての挫折だった。

「いずれは競輪選手になろう」
ナショナルチームメンバーとして競技をこなす競輪選手たちと共に世界を巡り、この職業への魅力を感じた。漠然と考えていた競輪選手への道は皮肉にもこの挫折が背中を押す形となった。
「リオ五輪に出てトラックで結果を出すことができれば、次はロードを通して海外に挑戦しようと思っていたんですが……それがダメで。色々思い悩んだ末、競輪選手の道を選びました」
橋本にとってそれは夢を諦めた打算の選択ではなかった。ちょうど時を同じくして、競輪界を主導にトラックナショナルチームに対する改革が行われた。メダル請負人と言われる外国人コーチの下、世界を目指す環境が大きく変わろうとしていたからだ。
また、それに準じて、競輪自体が短距離・中長距離に関わりなく世界を目指す自転車競技者の受け皿となるシステムが構築されようとしていた。
安定した収入のある“競輪”は競技を続けていく上で大きな支えとなる。競輪選手としての収入を得ながら、五輪を目指せるシステムを利用。橋本は再び五輪という見果てぬ夢への挑戦を決めたのである。

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