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2022/03/08

木三原さくら

恋して競輪ハンター

恋して競輪ハンター

恋して競輪ハンター 104 Hunting

最後に玉野を訪れたのは、いつだったのだろう__。
そう思って予定を遡ってみると、2020年の9月上旬が最後のようでした。そういえば、まだ半そでを着ていたかな? 施行事務所へ挨拶に行って、当時のスタジオに行くのにバンクの外側を約半周、まだ汗ばむ頃だったのかもしれません。そんな断片的な記憶が、ぽろぽろと頭の引き出しからこぼれました。当時の玉野競輪は、まだ解体工事の真っ最中で、スタジオまでの道のりは砂利。明るいうちは灰色のがれきが積まれた横を通り過ぎ、ミッドナイトの時間になると照明がスタジオ前に置かれていた工事用重機を照らしていました。ミッドナイト終わりの帰り道は真っ暗で、スマホのライトを頼りに歩いていったのも、懐かしい思い出です。

あれから1年5カ月。「本当に」玉野競輪は変わりました。本当に競輪場内にホテルが建ち、本当にメインスタンドが新しくなり、本当に本場開催が再開しました! 嘘だと思っていたわけではないですが、競輪界にいて、今まで聞いたことのない夢物語がゆえに「まさか」と思う気持ちの方が強かったのが正直なところ。それが、実現しました。たくさんの課題を乗り越え、このニューオープンにこぎつけた関係者のみなさんの努力に感服します。
今回、許される範囲で場内を散策し、新しくなった施設はもちろん、変わらず残る施設が新しい機能を持ち、生まれ変わっているのを見てきました。具体的に言えば、1コーナー側にあったイベントホール。私が初めて玉野競輪を訪れたとき、放送ブースが設置されたあの建物は、選手のローラー場として生まれ変わっていました。たくさんの共演の方々と共に、バンク内外(!?)で起きたたくさんのドラマをお伝えしたe-SHINBUNチャンネルを放送したあの場所で、今は選手が汗を流しているのかと、しみじみ想像を膨らませました。

放送中に塗ったマークシートを持って、走って買いに行った窓口は、今はもうありません。その場所に新たに建てられたのが『KEIRIN HOTEL 10』です。ホテルでは、その景色やホテルオリジナルの設備はもちろん、選手が宿舎として利用する部屋に競輪ファンも泊まって楽しめるそうです。あの選手も、この景色を見たのかな? あのレースの後、どんな思いで過ごしたのかな? と、妄想癖の競輪ファンなら、たまらない体験ができるのでしょう。
過去と未来、そして現在。同じ時代の中で、選手とファンが繋がっていく競輪場。玉野競輪は、そんな風に生まれ変わったのだと感じました。
残念ながら、こけら落としのミッドナイト競輪はコロナの影響で中止となりましたが、玉野競輪の新たな歴史は始まったばかり。場外発売も始まり、8日からのミッドナイト、そして月末には開設記念、さらに夏には2010年以来のG2開催『サマーナイトフェスティバル』が開催予定です。これからの玉野競輪の歴史を紡いでいくのは、どんなレース、どんなドラマなのでしょうか。
百聞は一見にしかず。かつての玉野競輪を知る方も、これから初めて玉野競輪に来場される方も、その目で確かめて、ぜひ新しい玉野競輪を楽しんでいきましょう!

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【「恋して競輪ハンター」過去コラムはこちら】
103Hunting「おかえりワッキー」
102Hunting「面倒な客」
101Hunting「研究と進化を続ける競輪選手」
100Hunting「グランプリを振り返って」
99Hunting「残そうと 思う気持ちが 交わされる」
98Hunting「心を射抜かれた諦めない競走」
97Hunting「阿部様の引退」
96Hunting「関東ラインの強さについて」
95Hunting「番手捲りに思うこと」
94Hunting「山口拳矢選手は競輪界の原始星」

【略歴】

木三原さくら(きみはら・さくら)

1989年3月28日生 岐阜県出身

2013年夏に松戸競輪場で
ニコニコ生放送チャリチャンのアシスタントとして競輪デビュー
以降、松戸競輪や平塚競輪のF1、F2を中心に
競輪を自腹購入しながら学んでいく
番組内では「競輪狂」と、呼ばれることもあるほど競輪にドはまり
好きな選手のタイプは徹底先行
好きな買い方は初手から展開を考えて、1着固定のフォーメーション
“おいしいワイド”を探すことも楽しみにしている

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