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2022/07/24

木三原さくら

恋して競輪ハンター

恋して競輪ハンター

木三原さくら「恋して競輪ハンター」113 Hunting

心の整理をしてから__。いや、それとも、そもそも書くことをやめようかな。

そんなことをグルグルと考えていたら、コラムの締め切りがとうに過ぎていました。
毎日、たくさんのレースが開催されていて、自由に題材を選べるこのコラム。好きなレースを選んで、楽しいことだけを書いている方がいいのは当然。ですが、やっぱり避けては通れない気持ちになるのです。

6月末のこと。応援していた吉田輪太郎選手が、競輪選手を引退しました。
私が初めて好きになった競輪選手ですが、代謝制度の対象となり、6月26日からの前橋ナイターがラストランとなってしまいました。

9年間。私は魅力的な選手やレースに、たくさん出会いました。しかし、他の選手とは違う興奮を、初めて吉田選手のレースを見た時に感じたのです。今思えば、特段、感動するレースではなかったのかもしれません。いや、なかったと思います。それでも、何か心に刺さるものが確かにあり、そして、それがなかなか抜けない。平塚でレースを見て、帰りに駅前のドトールで共演者の先輩と吉田選手のことを調べて、画像検索して、携帯の待ち受けにもしました。今思うと、ちょっと気持ち悪いくらい、しっかりファンでした。
その後、番組ゲストで来てもらったり、取材させてもらったりするうちに、ファンと言うより身内のような気持ちで、良い時も、悪い時も応援してきました。

そんな吉田選手のラストラン。直接、前橋まで応援にいくことはできなかったので、出張先のホテルで見届けました。最後は感謝の気持ちを込めて、吉田選手→全→全を購入。賭け式にも、迷いはなかったです。1着を取って締めくくってほしい。その気持ちだけでした。遠く前橋に声は届かなくても、オッズに想いを載せるつもりで、チャリカ残高を全部賭けました。

レースはマーク戦から、最後は自力を発動して見事に1着。3連単は8,460円でした。
余談ですが、この頃、私は車券が絶不調だったのですが、この的中で息を吹き返し、その払戻金を元手に7月の車券成績が好転していくのです__。

1着おめでとう。当たったよ、ありがとう。

そう思う気持ちが、とても悲しかった。涙が溢れて止まりませんでした。ケガや病気による欠場とは違います。競輪選手としての吉田選手の走りを見ることは、もうありません。車券が当たってお礼を言えるのも、これが最後。9年分の思いを込めて、「ありがとう」と言葉に出しました。
吉田選手の存在がなければ、今の私はありません。吉田選手をきっかけに、競輪がそれまでより何倍も楽しくなって、追いかけることで、世界が広がっていきました。それが仕事にも繋がっていって、今も競輪界に携わる私の人生があります。吉田輪太郎選手は間違いなく、私の人生を変えた競輪選手です。
泣いて、笑って、応援し続けた私の9年。本当にありがとうございました。そして、お疲れ様でした。今でもまだ寂しいけど、たくさんの思い出を胸に、私は今日も競輪を楽しんでます!

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【恋して競輪ハンター・過去コラム】
112Hunting「競輪イチ諦めの悪い車券」
111Hunting「日野未来の松戸優勝」
110Hunting「後悔のない車券購入を」
109Hunting「広島でコイコイマスター」
108Hunting「策士・小川真太郎」
107Hunting「競輪に恋して」
106Hunting「レースと重なる人生模様」
105Hunting「負けてる時の打開策」
104Hunting「繋がっていく玉野競輪」
103Hunting「おかえりワッキー」

【略歴】

木三原さくら(きみはら・さくら)

1989年3月28日生 岐阜県出身

2013年夏に松戸競輪場で
ニコニコ生放送チャリチャンのアシスタントとして競輪デビュー。
以降、松戸競輪や平塚競輪のF1、F2を中心に競輪を自腹購入しながら学んでいく。
番組内では「競輪狂」と、呼ばれることもあるほど競輪にドはまり。
好きな選手のタイプは徹底先行!
好きな買い方は初手から展開を考えて、1着固定のフォーメーション。
“おいしいワイド”を探すことも楽しみにしている。

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