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2023/02/20

木三原さくら

恋して競輪ハンター

恋して競輪ハンター

木三原さくら「恋して競輪ハンター」127 Hunting

開設72周年記念「春日賞争覇戦」は、私にとって10回目の奈良記念現地放送でした。
準決勝では歴史上類を見ない走りを新田祐大選手が見せ、場内はもちろん、競輪界も大いに盛り上がりましたね。
その新田選手と近畿勢が総力戦でぶつかった決勝戦。バンクそばまで行って見ていましたが、号砲が鳴って、初手を新田選手が取った時に、落胆と興奮の入り混じったどよめきが場内で起きました。近畿の作戦は前受けから突っ張り先行だろうと、多くの人が想像していたが故のことだと思いますが、初手からザワつくとは、奈良のお客さん、競輪大好きすぎやろ~と、思わず心でツッコミを入れました(笑)。
初手は前を取れなかった近畿勢ですが、その後はしっかり主導権を握り、番手捲り。捲ってきた新田選手を最後は3番手回りだった三谷選手が合わせきって優勝。地元で完全優勝を決めました。

私が、初めて奈良競輪に行ったのは2014年の「春日賞争覇戦」。チャリチャンに出演するようになり、初めての遠征でした。
初めて挑んだ奈良は、魔物以外の何者でもありませんでした。しかも、ラスボス級。33バンクは松戸でも経験しているはずなのに、まるで違う。少しずつ分かった気になっていた競輪が、全く分からなくなりました。車券はボロボロで、開催前に引いた風邪も長引き、体調不良もボロボロ。最終日のエンディングでは、号泣して終わった記憶が今でも残っています。(余談ですが、2014年の奈良記念の結果一覧を今見ても、荒れすぎて笑ってしまいます。2日目の9Rが3着同着ですが、かたや4万、かたや19万の3連単って、初心者には刺激が強すぎです。)

また、今では珍しくなくなってしまった6車立ても、当時は珍しく、落車や欠場により車立てが減り、「『ボートレース奈良』だ」などと言って、みんなと盛り上がったりもしました。記念に限らず、思い出は山ほどあります。
通常開催の放送で、初めて「イン切り」という戦法を見たのも奈良でした。無投票に賭けて、ワクワクしたこともありました。
さらに、ミッドナイト競輪が始まった頃には、日野未来選手が当時アマチュアで練習していたので、奈良支部の選手に取材させてもらったり、場内の飲食店で動画を回したり、車券を買う以外の形でも関わることができて、今でも奈良支部の選手には特別な思いがあります。最終回となった放送では、帯チャレンジをして見事的中。その後、公約通り、リスナーさんとのオフ会も実現しました。
競輪の師である満さんにツイッターのやり方を教えたのも奈良。みいの願書を書くのを見守ったのも奈良。時間を忘れて飲み、競輪について熱く語り合ったのも、あれもこれも奈良。濃厚で特別な記憶が、奈良にはいっぱい詰まっています。

魔境であった奈良競輪で、たくさんの経験を重ねて10年が経ち、記念開催を4日間戦って、笑って終えることができたことが感慨深かったです。「石の上にも3年」、「雨垂れ石を穿つ」という言葉がありますが、奈良競輪にも10年、続けて来られたことが、今の私の力となっていると感じました。もし、叶うなら、10年前の私に伝えてあげたいです。

魔物に思える奈良競輪場、いつの間にか、大好きでかけがえのない場所になっているよ、と__。

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【恋して競輪ハンター・過去コラム】
126Hunting「脱タテ目!」
125Hunting「最恐の走りに震えた和歌山記念」
124Hunting「泣けるオッズ」
123Hunting「清水裕友が好きだ!」
122Hunting「ヤケクソかヒラメキか」
121Hunting「記憶にとらわれ過ぎない競輪予想を」
120Hunting「新人選手を追いかける楽しみ」
119Hunting「それでもリングに立ち続ける」
118Hunting「三つ巴の徹底先行が生んだドラマ」
117Hunting「競輪人生10年目!」

【略歴】

木三原さくら(きみはら・さくら)

1989年3月28日生 岐阜県出身

2013年夏に松戸競輪場で
ニコニコ生放送チャリチャンのアシスタントとして競輪デビュー。
以降、松戸競輪や平塚競輪のF1、F2を中心に競輪を自腹購入しながら学んでいく。
番組内では「競輪狂」と、呼ばれることもあるほど競輪にドはまり。
好きな選手のタイプは徹底先行!
好きな買い方は初手から展開を考えて、1着固定のフォーメーション。
“おいしいワイド”を探すことも楽しみにしている。

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