平原康多

平原康多

埼玉 87期
日本選手権競輪 優勝

  • 『22年目でつかんだ涙のダービー初制覇』

    大歓声の中、自然にあふれた涙が、全てを物語っていた。
    「一番の夢でした」。念願だった日本選手権競輪を初優勝した瞬間だった。

    決して、すべてが万全だったわけではない。
    昨年は落車により肩甲骨の骨折や、股関節に大きなダメージを負った。その影響は長引き、2014年からはき続けてきた赤いレーサーパンツを明け渡すことになった。
    リスタートを切って、復調を目指している段階で迎えた5月いわき平の日本選手権競輪。決勝は関東勢が5名進出したが、「皆にチャンスがあるように」と、2つのラインに分かれる別線勝負を選択した。目標にした吉田拓矢が最終ホームから仕掛けて、逃げる小林泰正をとらえて主導権を握ると、平原はゴール前で鋭く抜け出して、バンク内外からの大歓声に包まれながらゴールに飛び込んだ。力強く、右こぶしを握った。

    今年でデビュー22年目。今まで8回のG1優勝を積み重ねてきたが、「どんなに絶好調でも、優勝ができなかった」開催が日本選手権だった。2006年の立川で初出場し、今回が18回目の出場、さらに決勝進出は7回を数えた。微差での準優勝や、初日から全勝で勝ち上がったものの、涙を呑んだこともあったが、今年は復調途上ながら、巡ってきたビッグチャンスをしっかりとものにして、3年ぶり9回目のG1優勝という復活劇を最高の舞台で演じた。「今までの自分を取り戻せた」という言葉が、何よりも印象的だった。

    直前の西武園記念で「10年前の自転車やセッティング」に戻したことよる好感触に加え、一番の勝因と語ったのは「支え」だった。
    「家族の支え」「ファンの支え」そして「仲間の支え」__。
    これまで、ラインの先頭に関東勢を引っ張り、大ギア時代にも順応し、現在のスピード競輪にも対策を練りつつ、常にトップ戦線を走り続けてきた。だが、ひとりでは戦ってきたわけではない。仲間とともに切磋琢磨し、チャンスを掴み、勝利の喜びを分かち合ってきた。

    グランプリは2年ぶり14回目の出場となる。これは同地区のレジェンド・神山雄一郎の16回に次ぐ歴代2番目の数字だ。今年は3月に玉野で通算500勝も達成。後半戦は落車禍が続いているが、どこまで調子を取り戻してくるか。「復活劇」が多かった2024年のラストを飾るのが、初のダービー王によるグランプリ初制覇なら、なおドラマチックだろう。

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