
岩本俊介
千葉 94期
2024年競輪獲得賞金ランキング 9位
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『不惑を迎えて、初めて尽くし』
今年4月に40歳となり、2008年のデビューから17年目に突入した。
まず今年は3月に伊東温泉競輪場で万博協賛G3を道場晃規の番手から抜け出して優勝。「たまたま僕の優勝だっただけ」とラインを讃えたが、その前後のF1も完全優勝して、11連勝をマーク。長いプロ生活なら、必ず好不調の波はあるものだが、ここからさらに大きな波に乗ることになる。振り返れば、この連勝から予兆はあったのかもしれない。
40代になって最初に迎えたG1は、4月いわき平競輪場の日本選手権競輪だった。特筆すべきは二次予選だろう。最終2コーナーから内に進路を取ると、最終4コーナーも機敏に内から抜け出して連勝を決めた。普段はあまり見られないレーススタイルだったが、「これまでやられ過ぎたので、今度こそという気持ちがありました。ただで負けていたわけではないので」と、強い気持ちを見せた。
巡り合わせも大きかった。「ずっとこの年齢まで自力で戦ってきて、こういうところ(G1準決勝)で深谷(知広)の番手を回れた」。準決勝は先行する深谷マークから、差し脚を伸ばして1着。過去にG2(ヤンググランプリは除く)は4回決勝に乗っているが、G1決勝は初めて。「運もあるけど、めちゃくちゃ嬉しい」と白い歯を見せた。初めてG1に出場した2009年から数えること55回目のG1出場、日本選手権は14回目の挑戦だった。
単騎戦となった決勝は、苦しい展開を乗り越えて、捲り追い込みで準優勝。これで賞金を大きく加算させて、グランプリ初出場が手に届くところまでランキングは上がった。
だが、好事魔多し。9月共同通信社杯の初日に落車して骨折。競輪祭を迎えるころには、賞金のアドバンテージもほぼなくなっていた。だが、あくまで岩本は岩本らしく。初めてのグランプリ争いも「感謝したい」という言葉で表現した。
競輪祭の初戦は脇本雄太を相手に、完璧なレースメイクで逃げ切り1着を取り、望みをつないだ。最終的にグランプリは厳しい条件での結果待ちになったが、9番目の出場権を守り切った。
競輪学校(現:養成所)から一途に先行勝負を繰り返してきた。特に94回生は、在校時から脇本雄太や坂本貴史、佐川翔吾ら強烈な果敢派が多いことでも知られていた。40歳になっても、自力戦への気持ちは変わらない。また、機動型がそろい戦力の厚みが増してきた南関東勢の好ムードも忘れてはならない。波に乗り、波を引き寄せ、そして辿り着いた9人しか走れない最高峰の舞台。「いつも通り、一生懸命にやるのが自分」。不惑を迎えて、初めて尽くし。足を踏み入れた未知の領域で、どんな走りを見せてくれるか。