TOP > コラム > 心に残るベストショット Vol.11

コラム

一覧へ戻る

コラム

2018/06/20

Junko Shitara

心に残るベストショット Vol.11

心に残るベストショット Vol.11

久留米競輪場が初めて特別競輪を開催したのは平成3年(1991年)でした。前年に前橋競輪場でアジア初の世界選手権開催したことを機に、日本で初の室内競技場・グリーンドーム前橋が誕生。また、あと一歩で全50場電話投票が可能になるという時期でもありました。次々に専用場外車券売り場が増設されたのに加えて、任天堂のファミリーコンピューターを使った投票(名称・ピスト)も試験的に始まっていました。
このように色々なことがドンドン変化していく中で現れたのが新星・吉岡稔真さん(福岡65期・引退)でした。前年にデビューして、1年も経たないうちに川崎記念を制覇。そして、地元・福岡の全日本選抜競輪では九州地区代表の1人として選抜され、前検日の久留米競輪場の検車場では誰よりも報道陣を集める注目ぶりで存在感バッチリでした。
まだ武骨な選手が多い時代で、その中で誰よりもスリムな体型、時として気弱な一面も見せる吉岡さんはマスコミが苦手。苦虫を噛みつぶしたような顔で、ボソボソ答えるのでますます記者が近寄る。すると、もっと嫌な顔で小さい声になる。これはなかなか面白い光景でした(笑)。

真夏の祭典・全日本選抜競輪、当時は8月開催とあって夏の暑さを象徴するこの大会。しかも今回は九州開催で“暑い”というより“熱い”でした。きっとベテラン選手には苦しい大会だったと思います。
この大会はジリジリ焼けるような“熱さ”に加えて、途中、台風の洗礼も受けました。屋根があるとは言え、あまりにも強い雨が吹き込んできてしまい、名物実況の磯一郎さんもズブ濡れを通り越していたくらい。
電投や場外といった本場の天候とは異なる場所で投票しているファンのみなさんのことを考えると、発売を伸ばしたり、中止にしたりはできない時代になっていました。現在でもそうですが、オープンの施設で開催する競輪場全ての悩みです。
優勝インタビュアーの私は屋外で仕事。決勝日は快晴、夕方16時半過ぎという時間でも34℃もありました。恐らく、バンク内は40℃を超していて、立っているだけでクラクラ。せっかくのお化粧も無駄かと思うくらいに汗をかきます(笑)。昼過ぎからはクーラーの効いた部屋には入らずに身体を“熱さ”に慣らし、水分を多目に摂っていました。とにかく体力の温存を考え、風通しのいい日陰を探して決勝レースを待ちました。でも、決勝レースはもっと“熱かった”のです!

12

ページの先頭へ

メニューを開く