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2018/12/11

Yuji Yamada

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.37

“帝王”山田裕仁の競輪哲学 Vol.37

12月、師走、年末……毎年、この時期になると少しばかり寂しい気持ちになってしまうのはなぜなのでしょう?近年は新年を迎えるにあたり今年より良い年になりますように!って、ポジティブに考えることができなくなっている自分がいますが、これって、老いてきた証拠ですよね!?(苦笑)

競輪界では毎年、6月と12月が期末となり、代謝制度で引退する選手がラストランをむかえることになります。
私の競輪学校時代の成績は100人中85位と、劣等生で間違いありませんでした。適性入学ということを考慮しても、この成績では競輪選手としてデビューできても3年くらいでこの代謝制度に引っ掛かる可能性大。
「早々に引退することになってしまうかも知れない」
不安と焦る気持ちを押さえられずに、毎朝、自主練しなきゃいけないような生徒だったのです。

現在はデビュー後、即、先輩選手たちと同じレースを走るチャレンジレースですが、私はデビューした当時はまず新人リーグでした。同期同士のレースを一定期間続けて、そこでの成績によって級班を格付けされるという制度でした。そのおかげもあって、同期同班の仲が良かった選手と何場所か一緒に走れる機会があり、レースが一緒になると私を連れて先行してくれました。私はそれでどうにか好成績を収めることができてしまったんです。はい、競輪学校時代の成績が嘘だったかのように、私はA級2班に格付けされることに。ということは、今の私があるのはその選手のおかげということでもあるのです。
そんな大変お世話になった選手もこの12月、代謝制度で引退、遂にラストランを迎えたのであります。私の恩人とも呼べる選手のラストランを観に行かないなんてできる訳もなく、出走日が確定していたのでスケジュールは調整しておきました。
「残念だけど当日は予定が入っているので応援にはいけないんだ」
そのように本人には伝えておいて、サプライズで喜んでもらおうと、私は競輪場に足を運んだのです。
ラストラン当日の競輪場ではこちらが想定していた通りのオーバーアクション、私の期待(期待以上!?)に応えてくれる驚き&喜びっぷり。昔からこういう男だったなぁ、そんなナイスガイと杯を交わす機会がなくなってしまうのかなんて考えてしまうと、ただでさえ寂しい季節に寂しい気持ちが倍増となってしまったものです。

それから数日後、今度は私の同県の後輩が引退を表明しました。腰痛に悩まされた時期があるにせよ、その選手も私と同じで自ら選手生活を途中棄権であります。制度により選手を続けたくても続けることができない人もいれば、私やこの後輩のように自己判断で辞めてしまう選手もいる。競輪選手として人生を終えたい人から見れば、私たちのような選手は自分勝手に映るかも知れません。今回、引退を決意した後輩の心情は分かりませんが、私自身は腰痛や坐骨神経痛により、まずは納得いく練習ができなくなりました。そして、自分自身も選手としてやり切った感があったこと、お客様に中途半端な状態でレースに出て迷惑を掛けたくないという思いでの引退だったということでお許し願いたいものです。

「今後は外から競輪界のお役に立てることができれば」
そのように後輩からは引退発表前に電話で報告を受けていました。私自身が微力なので申し訳なく思ってしまうのですが、その後輩は“意外性の男”だけに今後の活躍、競輪界を新たな角度から盛り上げてくれること期待するばかりであります。

このコラムでも再三のように書いていることですが。
競輪選手は黙っていても仕事(斡旋)は入るし、競走に参加すれば稼いで帰ることができ、本当にケガさえなければ最高な仕事だと言えます。ですから、現役選手のみなさんには1日でも長く現役を続けていただきたいと、心から願っています。

12月、師走、年末……ようやく冬らしく底冷えする季節にもなってきました。読者のみなさんもどうかご自愛下さい。

【略歴】

山田 裕仁

山田 裕仁(やまだ・ゆうじ)

1968年6月18日生 岐阜県大垣市出身
1988年5月に向日町競輪場でプロデビュー
競輪学校の同期で東の横綱・神山雄一郎(栃木61期)、西の横綱・吉岡稔真(福岡65期・引退)らと輪界をリード
“帝王”のニックネームで一時代を築いた
2002、2003年の日本選手権競輪(ダービー)連覇などG1タイトルは6つ
KEIRINグランプリ連覇を含む史上最多タイ3度の優勝など通算優勝110回
通算獲得賞金は19億1,782万5,099円。
2002年に記録した年間最高賞金2億4,434万8,500円はいまだに破られていない
自転車競技でも2001年のワールドカップ第3戦(イタリア)で銀メダルを獲得するなどの実績を残した
2014年5月に引退して、現在は競輪評論家として活躍中
また、競走馬のオーナーとしても知られる

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