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2020/12/18

Sakura Kimihara

恋して競輪ハンター

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恋して競輪ハンター 74 Hunting

先日、千葉競輪開設71周年記念G3滝澤正光杯が松戸競輪場で行われました。
優勝したのは地元の岩本俊介(千葉94期)選手。8月の松戸記念、そして、今回の千葉記念と、地元開催の開設記念を両方制覇!先行ラインの後ろ、3番手という絶好の位置を取り、力強い捲りで優勝を勝ち取りました!

今開催が千葉市営の現行の競輪では最後となる千葉記念。地元選手の優勝という最高の形で締めくくられました。私は4日間、インターネット放送に出演していて『最後の千葉記念』という言葉を何度となく使い、当然、寂しい気持ちも生まれてきたものです。
開設65周年の滝澤正光杯からニコ生に出演させていただいてきましたが、71年の内、たった6年でもかけがえのない思い出がたくさんあります。記憶に残るレースだけでなく、千葉記念をきっかけに生まれた出会いや様々な出来事が思い出されました。この開催を楽しむファンの中に、または携わる全ての関係者の中に、それぞれ刻まれた千葉競輪の記憶があるのだろう__。そんなことをシミジミ感じる4日間でした。

しかし、ありきたりな表現ではありますが、終わりは新たな始まりでもあります。滝澤正光杯のタイトルはこの後、松戸競輪に引き継がれ、松戸競輪で新たな歴史を刻んでいきます。そして、もうすぐ250バンクが完成し、千葉競輪は新たなKEIRINの歴史の幕を開けようとしています。全てが終わってしまうのではなく、また、ここから始まるのだと思うと、感傷に浸るばかりでなく、前向きな気持ちになりました。
そう思えたのは冠にもなっている滝澤正光さんから以下のようなお話しが聞けたからでもあります。

滝澤さんと言えば、現役時代は『怪物』とまで呼ばれた偉大な選手。現在は競輪選手養成所の所長をされています。その滝澤さんに、今、急速に変化している競輪について、どう感じているのか?を尋ねてみると、こんな風に仰っていました。
「競輪も世界を目指して進化してきた。でも、残さなきゃいけないところは残していきたいという気持ちもあります。私も受け継いできた競輪界の伝統を伝えられる範囲で、若い選手や候補生たちに伝えて、そして、新たな歴史を若い人たちが作ってくれたならば良いなと、思っています」
千葉競輪もまさに同じ。競輪からKEIRINへと大変身を遂げようとしている真っ只中です。500バンクがなくなり、250バンクになる。ルールも何もかもが違い、全くの別物になったように感じますが、そこには必ず過去から繋がっているものがあり、それを繋いでいくのは過去を知る私たちなのだと、滝澤さんのお話しを伺ったことで感じた次第です。

私にとっても千葉競輪は特別な場所でした。競輪から離れようと思った時、踏み留まったのも、競輪一筋に頑張ろうと決めたのも、実は千葉競輪の放送に出演している時でした。私の中で大切な競輪とのターニングポイントには不思議と、千葉競輪があったのです。私の終わりと始まりをいつも見守ってくれていた千葉競輪。今度は私が新しく生まれ変わる千葉競輪を見守る番です。500バンクでのたくさんの思い出と共に、新たに刻まれる250バンクでの出会いを心の底から楽しみにしています。

【略歴】

木三原さくら(きみはら・さくら)

1989年3月28日生 岐阜県出身

2013年夏に松戸競輪場で
ニコニコ生放送チャリチャンのアシスタントとして競輪デビュー
以降、松戸競輪や平塚競輪のF1、F2を中心に
競輪を自腹購入しながら学んでいく
番組内では「競輪狂」と、呼ばれることもあるほど競輪にドはまり
好きな選手のタイプは徹底先行
好きな買い方は初手から展開を考えて、1着固定のフォーメーション
“おいしいワイド”を探すことも楽しみにしている

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