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2021/11/25

Sakura Kimihara

恋して競輪ハンター

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恋して競輪ハンター 97 Hunting

新潟の阿部康雄選手が引退するというニュースを、SNSで目にしました。調べてみると今期の代謝候補となり、先日の弥彦競輪で地元ラストランを終えたようでした。素人脚自慢から競輪選手になったという異色の経歴をはじめ、阿部選手のエピソードは多くの競輪ファンがご存じのことと思いますが、私には個人的に別の思いがあります。私がチャリチャンに初めて出演したのは番組が始まって半年が経った頃。初回から出演しているメインMCの先輩がいて、アシスタントという形での出演から競輪人生が始まりました。
その先輩が応援していた選手が、同じ新潟出身の阿部康雄選手。「阿部様」とレースの度に呼んでいたのを、隣でよく聞いていました。当時の私は競輪も知らなければ、もちろん選手も知りません。先輩が言うには、阿部様の魅力はその存在。阿部様がいるときはそのラインを買う。しっかり仕事してくれるからと当時教わった記憶があります。番手の時の阿部様と3番手の時の阿部様では、する仕事も違う。ほらね、こんな走り、かっこいいでしょう? と、せっかく教えてもらっても、無知ゆえにほとんど理解していなかったと思います。それでも楽しかった。一緒になって阿部選手を買ってみたり、先輩を真似て阿部様といって名前を声に出して応援し、レースを見ていると、先輩の好きな気持ちが伝染するのか、いつも以上にワクワクしていた気がします。いつしか一人で車券を買っているときも、「あ、阿部様!」と名前を見つけて買ってみたり、先輩の想いのおすそ分けをもらって競輪を楽しむことができたのでした。

たとえ競輪を知らなくても、誰かの気持ちに乗っかって、一緒になって応援する。これも楽しみ方のひとつですね。一緒に当たれば嬉しいし、外れても一緒に語り合える。ひょっとしたら、アイドル用語で言えば同担NGという人もいるかもしれませんが、私はそんな風に誰かの想いを通じて選手のことを知ることが好きです。今でこそ、それを伝える側の立場となり、このコラムも書いていますが、私にそんな楽しい気持ちを教えてくれたのは、先輩だったんだと改めて思い出しました。

先輩が卒業したあと、チャリチャンを続けて6年。先輩がいなくなって、いつしか「阿部様」と呼ぶより、「阿部選手」と呼ぶ方が自然となり、当時を知るファンの人と会う機会も減って、そんな話をする人もいなくなりました。そして、こうして引退というタイミングで、阿部様が記憶の扉を開きました。疎遠になってしまった自分の薄情さを顧みるとともに、阿部様との別れの寂しさ、そして先輩との日々を思い出します。たくさんのことを教えてくれた先輩の背中を、今でもずっと追っています。先輩が競輪の面白さを教えてくれた中にいた阿部選手の存在、そして阿部選手が思い出させてくれた先輩の記憶。改めて二人への感謝の想いをもって、阿部様の最後のゴールまで応援したい__。そう思っています。

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【「恋して競輪ハンター」過去コラムはこちら】
96Hunting「関東ラインの強さについて」
95Hunting「番手捲りに思うこと」
94Hunting「山口拳矢選手は競輪界の原始星」
93Hunting「車券購入は自己責任」
92Hunting「東口高配当流星群」
91Hunting「オールスターのワンツー決着」
90Hunting「穴党は孤独で勇敢な戦士」

【略歴】

木三原さくら(きみはら・さくら)

1989年3月28日生 岐阜県出身

2013年夏に松戸競輪場で
ニコニコ生放送チャリチャンのアシスタントとして競輪デビュー
以降、松戸競輪や平塚競輪のF1、F2を中心に
競輪を自腹購入しながら学んでいく
番組内では「競輪狂」と、呼ばれることもあるほど競輪にドはまり
好きな選手のタイプは徹底先行
好きな買い方は初手から展開を考えて、1着固定のフォーメーション
“おいしいワイド”を探すことも楽しみにしている

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