引退を発表した村上義弘
9月29日、衝撃的なニュースが飛び込んだ。あの村上義弘が、電撃引退を発表。村上ファンである私の頭の中は、真っ白になってしまった。一体、何が起こったのか、信じられなかった。確かに、地元の向日町記念を欠場したが、ケガでもしたのかな?という程度に思っていた。それが、まさかの引退。48歳、まだまだ一線級で戦える力はあったはずだ。
10月5日には引退記者会見が日本競輪選手会の本部で開かれた。翌日のスポーツ紙を見ると、引退理由は「完全燃焼したから」。最後のレースになったのは、9月12日の松阪F1。番手に飛び付き、直線で差し切った。久々の1着にファンも喜んだ。この時まで出走表のデータは、連対率が0%だった。ただ、村上の場合は0%でもファンに感動を与える走りを必ずしてくれていた。だが、村上は結果を求めた。それがファンに対する礼儀、競輪選手としてのプライドだったのだろう。ファンはその走りに納得できていたかもしれないが、本人にとっては、許されないことだったと考える。
村上と言えば「先行日本一」「魂の走り」といったフレーズが似合っていた。心の師匠と仰ぐ松本整のために何度も駆け、優勝に貢献していた。そうやっていく内に、今度は自分がタイトルを手に入れた。しかし、選手生活は順風満帆だったわけではない。度重なる落車で体はボロボロ。タイトルを2つ獲ってからは、低迷期もあった。印象に残るレースは書き切れないほどあるが、やはり2012年のKEIRINグランプリではなかろうか。直前に肋骨を骨折し、それを敢えて公表して臨んだ。このあたりが村上らしい。嘘がつけない実直な性格だからだろう。
そのグランプリは、豪雨の中、最終バック前からの捲り。観戦していて、踏む距離が長いのではと思ったが、最後まで踏み切った。2着の成田和也が一瞬、右手を上げそうになったほどの激戦だった。ウイニングランでは両手を何度も突き上げ叫ぶ姿が、感動を呼んだ。あのシーンを見て、涙を流したファンは数多くいたはずだ。どんな状況に置かれても、最後の最後まで諦めない競走スタイル__。それがもう見られなくなってしまうのは、口にできないほどの寂しさと悲しさを覚える。引退レースをせず身を引くのも、村上の美学であったのだろう。ファンとしては最後の雄姿を見たかったが、これも村上が決めたこと。潔さも、さすがだ。
記者会見では、今後は未定で、まずは家族孝行をしたいとのこと。28年間、ファンの期待を背負い、満身創痍で戦ってきたのだから、ゆっくり休んでもらいたい。ただし、村上ほどの人間を競輪界が離すはずはないだろう。いつでもいいから村上流の競輪道、競輪論を、皆の前で披露してもらいたい。記録にも記憶にも深く残る選手だった。
Text/Norikazu Iwai
Photo/Perfecta navi編集部
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