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2018/01/24

Junko Shitara

心に残るベストショット Vol.7

心に残るベストショット Vol.7

2月は全日本選抜競輪。そう、今は2月の開催になっていますね。でも、最初の全日本選抜競輪は『真夏の祭典』というキャッチコピーで、第1回大会は1985年8月、前橋競輪場で開催されました。
冬は赤城おろしでめっぽう寒く、夏場は上州独特の蒸し暑さが容赦ない前橋の気候。まだドームになる前でしたから、第1回大会は炎天下での激戦だったことを今でも覚えています。
優勝は佐々木昭彦さん(佐賀43期・引退)、小柄ながら闘志あふれるレースと豪放磊落(ごうほうらいらく)な性格で人気者でした。
当時、九州には中野浩一さん(福岡35期・引退)と井上茂徳さん(佐賀41期・引退)という両雄が相並び、覇を競い常に競輪界をリードしていました。ここで佐々木さんは九州の先行選手として前を回るか、別線で活路を見出すか、タイトルを手にするには難しい立場にいたのですが、結果は佐々木さんが中野さんを追い込んで優勝!その時、優勝インタビューに向かうべく検車場からバンクへ向かった私とすれ違ったあるベテラン雑誌記者が「もうイチ(中野さんの愛称)はタイトルが獲れないかな……」と、悲しげにボソっとつぶやいたのです。

この開催の2年前の1983年、同じ前橋バンクを舞台にしたダービーで中野さんは井上さんに交わされて惜敗。そして、今度は佐々木さんが”浩一ダッシュ”と呼ばれ、世界を席巻した中野さんを交わしてタイトルを手中に収めました。中野さんの全盛期を知る記者は一抹の寂しさを感じたのでしょうか?この時、ただ単に勝負の勝ち負け、強い弱いだけではなく、時代のヒーローの姿に己の人生を投影するファン心理の一端を感じ、『競輪』の深淵を改めて垣間見た瞬間でした。
とは言っても、中野さんはその後も捲り、追い込み、さすがの強さで競輪界をリードし続けたことはみなさんもご存知でしょう。

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