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2023/04/20

Go Otani

エッセイ「競輪場の在る街」Vol.11〜広島

エッセイ「競輪場の在る街」Vol.11〜広島

一年、住んだ広島を離れる日。街の風景が、いつもと違って見える。

「この道を通るのは、これが最後かもしれない」
「あの看板を見るのは、これが最後かもしれない」

家族で行った旅行で泊まった旅館だっただろうか。それとも、小学校で行った宿泊林間学習で泊まった少年自然の家だっただろうか。
子供の頃。物心ついた時から、泊まった部屋を最後に出るのは、自分と決めていた。親から「先に、部屋から出ておきなさい」と言われても、「忘れ物したかも」と言って戻り、「もう、しっかりしなさい」という親の声を聴きながら、最後に部屋から出るのは、いつも自分だった。

扉を閉めながら、誰もいない室内を振り返って見る。
そこには、しばらくの間、家族や同級生と過ごした空間があった。確かに、少し前まで、賑やかな話し声、歩き回る足音、テレビの音などがあった。それなのに、今はひっそりとした、誰もいない空間として扉が閉められようとしている。

思うことは、ただ一つ。
「もう一生、この部屋に戻ることはない」ということ__。

一泊であっても二泊であっても、そこで生活したという実感がある。しかし、これからの長い人生、この生活空間とは関わりなく生きていくのだというそのギャップに、何とも言えない寂寥感なのか、切り離される感覚になり、それに病みつきになってしまったのである。
その癖が、いつになっても抜けないまま大人になって、出張で全国各地のホテルに泊まるたびに、また、旅行で旅館に泊まるたびに、引き裂かれる感覚を覚えながら、そっと最後に一人で扉を閉めてきた。

競輪場を横に見ながら、広島都市高速3号線の宇品入り口を通り抜け、夜には緑色にライトアップされる宇品大橋を渡る。この一年、何度となく行き来したルートである。たった数秒で渡り切ったとき、「二度とこの橋を渡ることはないかもしれない」という想いとともに、背後で扉が閉まっていく気配がした。

抜けるような瀬戸内の青空__。
夜じゃなくてよかった。この感情は、夜だと耐えられない。
振り返って、扉が閉まっていくのを見なかったのは、運転中だったから、、、だけではなかった。
また来るから、振り返らなくてもいいよね、と、心の中で挨拶した。

Text・Photo/Go Otani

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