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2021/05/19

Sakura Kimihara

恋して競輪ハンター

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恋して競輪ハンター 85 Hunting

2021年5月、2年ぶりに競輪界最高峰のG1が開催されました。
第75回日本選手権競輪。決勝戦、1着でゴール線を通過したのは広島の松浦悠士選手。ゴールデンコンビと呼ばれている清水裕友選手が先行し、その番手から初の「ダービー王」の称号を手にしました。写真判定が3車で行われたほどの大接戦を制して1着。

惜しくも微差で敗れたのは郡司浩平選手(2着)と佐藤慎太郎選手(3着)。佐藤選手はそれでも高額賞金を獲得し、年末のKEIRINグランプリへ大きく上積みを作ることに成功しました。


一方で、3車のラインを活かせず、負けを喫してしまったのは関東勢。正規あっせんでは初のG1出場、そしてそのまま初のG1決勝の舞台へコマを進めた眞杉匠選手は、主導権を握ることができず。関東ラインは後方に置かれてしまい、番手を回っていた関東の総大将・平原康多選手は6着でダービーを終えることとなりました。

私にとって平原選手は、他の選手たちとは、また違った感情を持つ選手です。それは、常に平原選手とG1を戦ってきた武田豊樹選手に対しても__。最初に「ゴールデンコンビ」という言葉を覚えたのは、武田選手と平原選手の組み合わせでした。競輪にハマり始めた2014年、2015年頃、この二人は、まさに最強のコンビ。

特に武田選手については、2014年のサマーナイトフェスティバルでのニコ生の放送中に、知識の無さから「武田選手って知らない」と言い、競輪ファンのみなさんからコメントで大ひんしゅくを買った過去もあり、余計に特別な選手としてインプットされていました。当時は二人がラインを組めば、必ずと言っていいほど、どちらかが勝利を掴む。G3くらいであれば、決勝戦ワンツーでゴリゴリの1番人気になっていたように記憶しています。記憶違いな部分もあるかもしれませんが、そんな記憶に残るほど、とにかく二人は強かったです。

実は、私はこの武田選手、平原選手のコンビをいつも苦々しく見ていました。
それは、当時の私が「近畿推し」だったから。近畿勢が何度となく最強の布陣と思えるラインを組み、2段駆けをしても、結局この二人にやられてしまう。レース後は、悔しさしかありませんでした。大好きな選手がこの二人に勝てなくて、悔しくて、だからいつも泣かされる。強くて隙がなく、圧倒的なその走りを怖いとすら思ったこともありました。幼い頃の恐怖体験が大人になってもトラウマのごとく残るように、お尻に殻をつけて競輪を楽しんでいた当時から、いつになっても関東は強い、平原選手、武田選手は最強!という気持ちが残っています。それは、今でも__。
だからこそ、今、また悔しいのです。あんなに私の大好きな選手を苦しめた平原選手、そして関東勢が、なぜ勝てないのかと。こんなものではないはず。あの怖いくらいの強さをもう1回見せてくれないと、負けて泣いたあの頃の私が納得できない。そう言いたくなるのです。
関東には期待される若い人材が豊富にいます。いつ再び、関東最強時代が来てもおかしくありません。もう1回、強くて悔しいって泣かせてほしい。強すぎて嫌!って思うくらいの走りを見せてほしい! あれ? 回りまわって、なんだか「関東推し」になっているよ!!
ダービーが終わり、残るG1は4つ。南関東、中国地区にタイトルを持っていかれた今こそ、関東の巻き返しに期待しています!

【略歴】

木三原さくら(きみはら・さくら)

1989年3月28日生 岐阜県出身

2013年夏に松戸競輪場で
ニコニコ生放送チャリチャンのアシスタントとして競輪デビュー
以降、松戸競輪や平塚競輪のF1、F2を中心に
競輪を自腹購入しながら学んでいく
番組内では「競輪狂」と、呼ばれることもあるほど競輪にドはまり
好きな選手のタイプは徹底先行
好きな買い方は初手から展開を考えて、1着固定のフォーメーション
“おいしいワイド”を探すことも楽しみにしている

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