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2022/06/21

木三原さくら

恋して競輪ハンター

恋して競輪ハンター

木三原さくら「恋して競輪ハンター」111 Hunting

2022年6月12日__。
忘れられない1日が、またひとつ増えました。
松戸競輪G3ナイター「燦燦ムーンナイトカップ」。4日制のガールズケイリンも行われたこのG3で、チャリ・ロトスポンサード選手であり、私に競輪の楽しさを教えてくれた日野未来選手が優勝しました。

「みい」。
そう呼ぶ人よりも、「みらいちゃん」や「日野選手」と呼ぶ人が増えました。私の携帯電話のアドレスには、かつての芸名のまま登録されっぱなしですが、いまだにその名で呼ぶのは、アオケイの町田記者くらいでしょう。『日野選手は昔、競輪番組に出ていたんですよ』と放送中にコメントが届くこともあります。チャリチャンを卒業し、選手になって4年。ガールズケイリン選手、日野未来はしっかりと競輪界での歩みを進めてきました。
その日野選手が、みいが、想い出の松戸競輪で優勝。奥井迪選手や児玉碧衣選手を相手に、素晴らしい結果を勝ち取りました。
レースはスタジオのモニターで観戦。打鐘では、踏み遅れたと思っていました。飯田風音選手や奥井選手の動き、そして児玉選手の仕掛けに対して車間が空き、日野選手はそれを追いかける形に。その後も2コーナーからバックは3車の外並走。その時は、「頑張れ! 越えろ!」と応援していました。『越えたら、2着あるよ、みい!』。正直、そんな気持ちでした。ただ、乗り越えて先頭を走る児玉選手に追いついた勢いは良く、さらに自転車を外に持ち出した最終2センター。まさか!と思いながらも、そこからは夢中で応援しました。今、振り返ると、走っていた本人より、私の方が頭が真っ白だったかもしれません。ゴール前で児玉選手を抜き、ゴール後に高らかに上げたガッツポーズ。びっくりだよ、みいちゃん…………こっちは、衝撃で涙が止まらないよ。

日野未来

レース後は、見に来ていたリスナーさんが、次つぎにスタジオ前に来て、「おめでとう!」と声をかけてくれました。目を潤ませてくれている人もいました。私までたくさんのお祝いの言葉をかけてもらえたことに、感動と感謝の気持ちが、また溢れて涙が出ました。一緒に見ていたA主さんは、こそっとスタジオから消えたのですが、きっとどこかで緑色の涙を流していたのだと推測しています。
一緒に競輪を買っている頃は、たくさんの競輪やギャンブルの面白さを教えてもらいました。そして選手になってからも、走りでそれを教えてくれて、また競輪の夢を、彼女は私に見せてくれます。

未経験からガールズケイリン選手になるということ。
確定板に乗ること。
初勝利。
代謝ギリギリからの復活。
決勝戦に乗った。
決勝戦で確定板に乗った。
初優勝。
そしてまた、彼女は私たちに夢のような光景を見せてくれました。
おめでとうという言葉と共に、ありがとうと伝えたいです。
たくさんの夢を見せてくれてありがとう。刺激と勇気をありがとう。

開催終了後、彼女に会った時、こう言われました。
「ねえ、さくらの買い目を見たけど、一番大きく書いてあるの『12-全―12』じゃん! 5からもあるけど『5-全』と『5=全=全』って、これ3連複でしょ!」
ひ、ひいいいいいい!
さすが元ギャンブラー。チェックに余念がない(笑)。

優勝インタビューでは、「ビッグレースを優勝することが目標」と話した日野選手。その時は、しっかり狙いますよ。
合言葉は「みい-全-全!」。

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【恋して競輪ハンター・過去コラム】
110Hunting「後悔のない車券購入を」
109Hunting「広島でコイコイマスター」
108Hunting「策士・小川真太郎」
107Hunting「競輪に恋して」
106Hunting「レースと重なる人生模様」
105Hunting「負けてる時の打開策」
104Hunting「繋がっていく玉野競輪」
103Hunting「おかえりワッキー」
102Hunting「面倒な客」
101Hunting「研究と進化を続ける競輪選手」

【略歴】

木三原さくら(きみはら・さくら)

1989年3月28日生 岐阜県出身

2013年夏に松戸競輪場で
ニコニコ生放送チャリチャンのアシスタントとして競輪デビュー。
以降、松戸競輪や平塚競輪のF1、F2を中心に競輪を自腹購入しながら学んでいく。
番組内では「競輪狂」と、呼ばれることもあるほど競輪にドはまり。
好きな選手のタイプは徹底先行!
好きな買い方は初手から展開を考えて、1着固定のフォーメーション。
“おいしいワイド”を探すことも楽しみにしている。

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