古性優作の「KOSHOW TIME!」Vol.14
皆さん、こんにちは。古性優作です。
まず、5月に行われた全プロ記念競輪(スーパープロピストレーサー賞)を優勝することができました。G1決勝のようなメンバーの中で、価値ある優勝だったと思います!
今回のコラムでは、最近のレースの振り返りと、次の高松宮記念杯競輪G1に向けて書きたいと思います。
◆目標にしていた日本選手権競輪◆
前回のコラムでも記しましたが、前半戦はまずダービーに向けてやってきました。トレーニングを積んで、筋肉の状態はすごく良かったと思います。しかし、そのすごく良い状態を、自転車に伝える「一体感」が全く無かったという感じでした。ダービーに向けて追い込んでいる段階で、疲労は溜まっていき、体の動かしたいところが動かなくなっていったのですが、その疲労が回復してきた時にも、そこの動かし方を忘れてしまっていました。つまり、「乗り方が分からなくなった」感覚です。自転車への力の入れ方、伝え方が分からない、本当に深刻な状況だったと思います。
2月から3月は、自分の感触的に良くなっていった時期だったのですが、良いところを意識しすぎて、そのキッカケを追求しすぎたため、良いところも通過して、悪くなっていった感覚です。過去にも同じことはあったとは思うのですが、同じ原因で悩んだことは、今回が初めての経験でした。
その中で迎えたダービーでしたが、レースでは脇本(雄太)さんに助けられました。決勝に勝ち上がることができたのも、すべて脇本さんのおかげでしかありません。サドルに座っている感覚も良くなかったので、苦しい開催でした。
◆キッカケつかめた全プロ記念競輪◆
そこからは、自分の動画を見て、とにかく客観的に戻していくことに努めました。動画でチェックすること自体は、毎日やっていることなのですが、ダービーの時は集中しすぎて、さらに繊細になりすぎていたため、見えなかった部分があったのだと思います。そのため、全プロ記念競輪の前は、逆に「もう、いいや」と思い、全プロの前検日に入った時も「今までは、こんな感じだった気がする」という感覚で指定練習に行ったら、急に「あれ? これだ」と、忘れていた乗り方、伝え方を思い出すことができました。これは、新たな発見でした。ダービーの感覚のまま変わらなかったら、絶対に優勝はできていなかったと思いますし、あの前検日で、ようやく「戻った」感覚を掴むことができました。
◆スーパープロピストレーサー賞は近畿別線◆
初日は1着で勝ち上がり、スーパープロピストレーサー賞のメンバーはG1の決勝のようなメンバーでした。
近畿勢は5人が勝ち上がりましたが、もしG1の決勝だったら、また別の並びだったかもしれません。ただ、僕も脇本さんと対戦してみたいという気持ちがあったので、今回は別線という並びもあっていいかなと思い、自分から決めました。
今、日本一の選手である脇本さんに自力で対戦する。胸を借りるつもりで挑みました。
レースでは、まず一番強い脇本さんを、一番後ろに置かなくてはと思っていました。そして、脚を使わずに中団を回ることができたので、脇本さんが仕掛けてくる前に、仕掛けようと考えていました。松浦(悠士)君の上を行こうと思っていた時に、松浦君が予想外の動きで先に行ったので、さらにその上を行った感じです。松浦君の動きをあてにはせず、自分で行こうと思ったタイミングで仕掛けられたと思います。
松浦君のブロックもあり、自分のスピードも落ちていたので、直線に入ってからも、とにかくキツかったです。この展開では、後ろの稲川(翔)さんが優勝かな?と思っていたのですが、そのまま押し切ることができました。さらに、ラインの3人で決めることができたのも、自分の中では大きかったです。この優勝は、G1を勝った時と同じくらいの喜びがありました。それくらい、自分の中では価値がある優勝でした。
脇本さんと別線で戦っても、勝ち負けできるようになる__。そこまでできるようにならないと、近畿の層は厚くならないと思って、ずっと頑張ってきたので、全プロ記念競輪でそれが実現できたことは、すごく嬉しかったですね。
◆初めての始球式◆
今回の高松宮記念杯競輪のPRもあり、6月3日に甲子園球場(阪神-ロッテ戦)で、初めての始球式を経験しました。最初にオファーがあった時は、正直、悩んだのですが、他の選手にも話を聞いたところ、「人生でそんなところで投げられる機会はない」「絶対に記念になる」という言葉をもらいました。甲子園に野球ファンが集まっている中で、僕が投げても「誰?」とならないかと思いましたが、確かに考えてみれば、甲子園のマウンドは、立ちたくても立てない方も、たくさんいます。そう思い、決意しました。
最初に悩んだ理由は、実は子どものころから、野球が一番苦手なスポーツだったから。小学生の時から苦手すぎるあまり、一切、遊びでも野球はやってきませんでした。自分が努力してきたことで注目されるのではなく、これまで苦手だったことで、これほど注目される時が来るとは思っていませんでしたね(笑)。
始球式本番は、そういう緊張感はありましたが、良い経験はできたかなと思います。
◆連覇のかかる地元G1へ◆
全プロ記念競輪が終わってからも、普通にいつも通りのトレーニングをしています。筋肉の状態を比較すると、ダービーの時の方がいいです。ただ、一体感は今回の方が、断然いいと思います。たとえ筋肉の状態が良かったとしても、一体感が良くなかったら、それは全く意味のないこと。一体感が出る方が自分も好きなので、今回はうまくトレーニングできていると思います。
「地元でG1がある」。それは、当たり前のことではないと考えています。常に今回が最後かもしれないという気持ちを持って、優勝を目指して、頑張るだけです。
高松宮記念杯競輪は今年から6日制になり、初日特選もないため、S級S班の特権みたいなものは年々、無くなっています。そのため、初日から負けられない気持ちはさらに強くなっています。6日制のタフさを感じますが、競輪祭の時と同じような勝ち上がりだと思っていますし、今回も一戦、一戦を、しっかり戦って、まずは決勝に乗れるように頑張りたいと思います!
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【過去のコラムはこちら】
古性優作選手コラム「KOSHOW TIME!」
Vol.13「日本選手権競輪に向けて」
Vol.12「グランプリから新年へ」
Vol.11「受け継いでいくもの」
Vol.10「初めてのドリームレース」
Vol.9「日本一になるために」
Vol.8「全日本選抜競輪優勝」
Vol.7「グランプリ覇者として」
Vol.6「初のグランプリへ!」
Vol.5「強くあり続けるために」
Vol.4「オールスター優勝報告」
【略歴】
古性優作(こしょう・ゆうさく)
1991年2月22日生 大阪府出身
2006年から2008年までの3年連続で全日本BMX選手権大会を優勝。
2011年7月に第100期生として岸和田競輪場でデビュー。2014年11月松戸競輪場でS級初優勝すると、2016年12月には地元の岸和田記念でG3初優勝。そして21年8月のオールスター競輪で念願のG1初優勝。KEIRINグランプリ2021では初出場・初制覇の快挙を達成してMVPにも輝いた。22年2月に全日本選抜競輪、6月には地元・岸和田で高松宮記念杯、そして23年2月に全日本選抜競輪と、ここまでG1を4回制覇。あらゆる展開に対応する変幻自在の走りが魅力。
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