TOP > コラム > 恋して競輪ハンター

コラム

一覧へ戻る

コラム

2023/07/19

木三原さくら

恋して競輪ハンター

恋して競輪ハンター

木三原さくら「恋して競輪ハンター」137 Hunting

開設73周年記念「阿波おどり杯争覇戦」が、梅雨明け間近の徳島県小松島競輪場で開催されました。
今開催にはバック数20回を超えながらもトップクラスで活躍する選手も多く、その影響か、先行争いに突っ張り先行など、9車立ての舞台で先行選手が作り出す、見ごたえあるレースや駆け引きが楽しめました。

新山響平
新山響平選手(SS・青森107期)

中でもS級S班でありながら、直近4カ月のバック20本という驚異的な数字をもつ新山響平選手は、2次予選を残り2周から突っ張り先行で押し切り。レース、そして、その後に届いた上がりタイムには解説をされていた市田佳寿浩さんと井上勝史さんも、「強い! 強すぎる!」と、驚きとともに称賛を送っていました。

犬伏湧也
犬伏湧也選手(S1・徳島119期)

また、出場メンバー最多のバック数を持っていたのは、地元の犬伏湧也選手。犬伏選手の強烈なカマシはマークしていく選手たちも必死で、あのS級S班の松浦悠士選手ですら口が空くほどでした。これまた「強い! 強すぎる!」と、その走りに地元記念初優勝を期待したのは、地元ファンだけはなかったことでしょう。

しかし、この大会を制したのは広島の松浦悠士選手でした。
地元勢と別れて単騎となった松浦選手。周回中から位置にこだわり、郡司浩平選手と並走してまで、その位置を取りに行ったところから、レースも、勝負も始まっていました。
最終的に先行は犬伏選手で、4番手になったのは新山選手の北日本ライン。松浦選手はその後ろ。最終バックで4番手から新山選手が捲っていくとき、すっと内から番手の坂本貴史選手をどかして新山選手に続き、そして直線追い込んでの1着。松浦選手に続いた郡司選手のことも振り切って、優勝を決めました。

松浦悠士
小松島記念を優勝した松浦悠士選手(SS・広島98期)

競輪は、脚力やパワーだけが強さではない、松浦選手の「何でもできる強さ」を目の当たりにしました。先に書いたように、準決勝では犬伏選手にギリギリ続いた松浦選手でしたが、別線になれば、またメンバーが変われば、話は別です。レースの組み立てや状況判断、そういったものが勝敗を分ける、競輪の頭脳戦の魅力を感じました。(もちろん、考えても行動に移し、結果に繋げるためには、それだけの脚力ももちろん必要ですが……)

昨年度から小松島競輪の放送に出演するようになって、今年が2回目の記念開催。その中で、私は初めて、G3のCS放送の司会を担当しました。普段のチャリチャンで放送しているときのような、「全力で、全レースを買って楽しむ」のとはまた違い、解説の方々の話を聞きながら、各選手の走りとドラマを積み重ねて、それを伝えていく。そんな4日間でした。

車券一本で来た競輪人生に、新たなお仕事の経験が加わって、できたことや個人的反省もありながら、私も松浦選手のような「何でもできる強さ」を身に付けたい__。そんなことを思いました。「何でもできる強さ」に憧れを持つのは、選手の世界だけではありませんね。できるかどうかは置いておいて、どのような状況でも最大限に、選手の、そして競輪の魅力を伝えられるようになりたいと、また目指す先ができました。
まだまだ伸びしろしかない(?!)自分を、選手に負けないくらい磨いていきたいと思います!

***************
【恋して競輪ハンター・過去コラム】
136Hunting「J.Y&K.W」
135Hunting「若手だけどの面白さ」
134Hunting「ルーキーシリーズを見て」
133Hunting「軽やかにダービー王」
132Hunting「偏食しない自由な車券」
131Hunting「感謝の10周年」
130Hunting「勝負の気配」
129Hunting「平塚の春よ来い!」
128Hunting「新人でなくなる前に」
127Hunting「10年目の奈良記念」

【略歴】

木三原さくら(きみはら・さくら)

1989年3月28日生 岐阜県出身

2013年夏に松戸競輪場で
ニコニコ生放送チャリチャンのアシスタントとして競輪デビュー。
以降、松戸競輪や平塚競輪のF1、F2を中心に競輪を自腹購入しながら学んでいく。
番組内では「競輪狂」と、呼ばれることもあるほど競輪にドはまり。
好きな選手のタイプは徹底先行!
好きな買い方は初手から展開を考えて、1着固定のフォーメーション。
“おいしいワイド”を探すことも楽しみにしている。

ページの先頭へ

メニューを開く